自民党総裁選への出馬を表明され、世間の注目が集まる「高市早苗」さん。
国会議員20名からの推薦についても、確保の目途が立ったという報道もあり、日本初の「女性総理大臣」誕生にも期待が掛かりますね。
今回はそんな高市早苗さんの「学歴・経歴」について、フォーカスしてみました。
学歴に関しては、過去に「詐称疑惑」も挙がったこともあるようで?!
時系列で詳しく・分かりやすく作成してみました。
目次
【学生時代】高市早苗の小学校・中学・高校・大学時代まとめ!
まず、高市早苗さんの「これまでの学歴」に関して、簡潔にご紹介致しますね。
やはり相当な高学歴な経歴をお持ちのようです。
幼少期の頃のエピソードも簡単に紹介するねっ!
その当時の貴重な画像も掲載してるよっ!
高市早苗の学生時代を簡潔にまとめてみた
- 小学校
- 奈良市立あやめ池小学校
- 橿原市立畝傍南小学校
- 橿原市立畝傍中学校
- 奈良県立畝傍高等学校
- 神戸大学
- 経営学部経営学科
流石に高学歴な経歴をお持ちのようだね~!
大学進学までは、奈良県内の学校に通われていたんだっ。
高市さんの出身地は大阪府じゃが、学歴を見る限り、育った町は小さい頃から奈良県だったようじゃの。
奈良で誇れるの高市早苗くらいしかいないよなぁ
— ならのおかだ (@osaka_tennoji1) April 21, 2020
まあ出身は大阪らしいが https://t.co/WKUCipfCQj
史上初の奈良県出身の総理大臣か?っと思ったら高市早苗さんは大阪生まれなんですね
— Kaz (@kaz20202020) August 26, 2021
生まれてから学生時代にかけて、大阪、奈良、兵庫の神戸と、関西圏で過ごされたようですね。
続いて、高市早苗さんが小学校に入る前の「幼少期のエピソード」を簡単にご紹介致します。
【幼少期編】愛くるしい笑顔が印象的。大好きなパパと2ショット写真も!
高市早苗さんの赤ちゃんの頃の写真をみつけたよっ!
めちゃ可愛いねっ!
こちら、高市早苗さんが当時1歳の頃の写真。
撮影場所は、国の名勝の1つにもなってる「奈良公園」です。
同公園の有名な鹿と一緒に写真を撮ってもらい、満足そうな高市早苗さん。(笑)
高菜早苗さんの横にいらっしゃる男性ってもしかして…?
そう、高市早苗さんの父親:高市大休(だいきゅう)さんじゃ。
※父:大休さんは、2013年5月5日、79歳でこの世を去られました。
上記2枚、高市早苗さんが当時3歳の頃の写真になります。
元気いっぱいな表情で、愛くるしい笑顔が印象的ですね。
左の写真は初めての船旅の時に撮影されたものらしいよっ!
船で何処に行ったんだろうねぇ…。
ちなみに、高市早苗さんの幼稚園は、奈良市内にある「奈良カトリック幼稚園」に通園されていたそうです。
では、次章より本記事のメインとなる、高市早苗さんの学生時代を時系列でご紹介していきたいと思います。
【学歴】高市早苗の小学校時代。転校をきっかけに性格が変化した?!
そういえば、冒頭の学歴紹介でも、高市さんの通われた小学校って2つなかったっけ?
その通りじゃ。どちらも奈良県内の学校じゃが、途中で転校されたようじゃの。
- 奈良市立あやめ池小学校
- 橿原市立畝傍南小学校
では、この2つの小学校時代についてみていきましょう。
「日本最古のダム」に隣接する自然豊かな「奈良市立あやめ池小学校」へ入学
高市早苗さんが初めて通った小学校は、奈良県奈良市にある「あやめ池小学校」です。
こちら公立の小学校になります。
学校名 | 奈良市立あやめ池小学校 |
所在地 | 〒631-0033 奈良県奈良市あやめ池南9丁目939-39 |
設立 | 1965年4月1日 |
GoogleMapにあるように、奈良市内でも有数の規模となる「蛙股池(かえるまたいけ)」に隣接する位置にあります。
蛙股池は、日本書紀には「日本最古のダム」と記されていて、非常に歴史のあるため池なんだっ!その周囲も自然豊かで、あやめ池小学校は「非常にのどかで過ごしやすい場所」にあるんだよっ。
学校として、読書にも非常に力を入れられているようで、本に触れる機会が多いことも一つの特徴となっているようです。
ちなみに、タレントの藤崎奈々子さんも同校の卒業生だよっ!
高市早苗さんが、あやめ池小学校で過ごされた期間は、小学校1年生~2年生までの約2年間。
その当時は、どちらかと言うと内向的で大人しい性格だったと、高市さん自身がコメントされていました。
小学校3年生になるタイミングで、同県内の学校に転校されています。
150年の歴史を持つ「畝傍南小学校」へ。転校が自身の性格を変えるきっかけに!
高市早苗さんの転校先は、 奈良県橿原市(かしはらし)にある「畝傍南(うねびみなみ)小学校」 。
1873年(明治6年)に創立した歴史のある小学校で、令和4年・2022年度には創立150周年を迎えます。
学校名 | 橿原市立畝傍南小学校 |
所在地 | 〒634-0064 奈良県橿原市見瀬町164 |
設立 | 1873年 |
1校目のあやめ池小学校からみるとほぼ真っ直ぐに南下した位置にあり、距離的には約30kmほど離れています。
最寄り駅の「橿原神宮前駅」からは、徒歩約7分程の距離。
普段の服装に関しては、畝傍南小学校では、私服ではなく「制服」を着用するようですね。
高市早苗さんは、小学校3年生から卒業までの4年間を、同校で過ごされておりますが、畝傍南小学校への転校をきっかけに自身の内向的な性格が変わったというコメントを、過去のインタビューにて、残されています。
幼少のころは内向的でした。小学校3年生で転校したことを契機に、少しだけ活発に振舞えるようになりました。両親が共働きだったため、6歳下の弟の面倒をみるのに追われていましたが、おかげで今でも乳幼児の扱いは上手です。
https://www.kakugo.tv/person/det6y2zb.html
- 父:大休(だいきゅう)さん
- 母:和子(かずこ)さん
- 弟:智嗣(ともつぐ)さん
高市早苗さんは、4人家族の長女で、6歳年下の弟・智嗣さんにとっては、頼れるお姉ちゃんでもあり、母親の役目も担っていたようですね。
ちなみに、高市早苗さんのご両親の職業は、父・大休さんが「メーカー系会社のサラリーマン」で、母・和子さんは「奈良県警にお勤め」されておったんじゃよ。
小学校時代から政治家になりたいと思っていた!?きっかけは当時の首相?
高市早苗さんのご両親は、政治関係者ではなく、サラリーマンと公務員だったんですね。
政治関係には縁遠い家庭環境だったようですが、ご両親は毎回の選挙投票は欠かさずに参加されていたそうです。
「投票に行くのは国民の義務だ。」と口にされ、必ず選挙権を行使されるご両親の姿を見て、高市早苗さんは育ったようです。
政治家になりたいと思ったのはいつからだったのかな?
高市早苗さんが政治家に初めてなりたいと思ったのは、実は小学生の頃からだったようです。
その頃の女の子であれば、将来の夢は、お花屋さん、とか、ケーキ屋さんと答える子が大半ですよね。(笑)
高市さんが小学生の頃にテレビで見た、当時の首相がきっかけだったようです。
小学生のころ、普及し始めたテレビで、池田勇人首相が所得倍増論をひっ提げて論陣を張っている姿を見て、政治家を志すようになりました。
https://www.kakugo.tv/person/det6y2zb.html
↑当時の首相の「池田 勇人(いけだ はやと)氏」。
池田氏は、第58・59・60代の内閣総理大臣を務められたんじゃよ。
【学歴】高市早苗の橿原市畝傍中学校時代。通学圏内の公立学校へ
中学も橿原市内の学校に通われていたみたいだねっ!
そうじゃな。
公立の中学校と言う点をみても、中学受験はせずに、通学区域内の学校を選択された可能性が高そうじゃの。
小学校から約1kmの距離にあった、公立の橿原市畝傍中学校へ進学。
高市早苗さんの中学校は、 奈良県橿原市にある「 橿原市立畝傍中学校 」 。
公立の学校で、夜間の部も扱っています。
学校名 | 橿原市立畝傍中学校 |
所在地 | 〒634-0045 奈良県橿原市石川町204 |
設立 | ? |
通っていた畝傍南小学校とも、約1.1キロの距離関係だから、中学でも通学しやすかったんじゃないかなあ?
明確な自分のやりたい目標を設定・妥協せずに第一志望を目指せ!
高市早苗さんが、小泉内閣にて経済産業副大臣に就かれていた際に、とある公立中学校から、
「三年生の進路選択に参考になる話を聞かして欲しい。」との依頼があったようで、ゲストティーチャーとして足を運ばれたことがありました。
その際に、高市さんが中学3年生に向けて送ったメッセージを簡潔に要約すると、この2点に集約されるよっ。
- 就職・進学を目的として勉強するのではなく、「具体的にやりたい事を定めた」上で進路選択し、学生時代を送って欲しい。
- 目指すべき目標が決まったら、第1志望に賭けること。妥協しない・楽な道を選ばない。
進学時の志望校決定や就職先の選択など、人生の節目で迷う事は多々ありますよね。第2志望で妥協していれば楽に目標達成できる場合が多いのですが、第1志望に挑戦することから逃げると、一生の間、「あの時もしも挑戦していれば、うまくいっていたかも」と後を振り返ることになります。
https://www.sanae.gr.jp/column_detail134.html
これは非常に深い提言ですね。
偏差値の高い学校に通えば「高学歴なステータス」を手に入れることができ、就職活動での選択肢も増える可能性は高いです。
ですが、やはり一番大事なのは「明確で具体的な目標・信念」を持って学生時代を送ることで、本当の「人間としての深み」と言いますか「個人の価値・中身」が伴うことは、間違いないですねよね。
高市早苗さん自身も、中学生時代からこういった本質的な部分を抑えた上で学校生活を送っていた可能性は高そうじゃな。
小学生時代から、政治家の夢を抱いてた高市早苗さんは、中学時代にもしっかりと勉強されていたようで、高校は県内屈指の名門校に入学されます。
【学歴】高市早苗の畝校時代。県内屈指の名門校へ!ヤンチャな一面も!
高校も奈良県の学校に通われてたんだよね。
私立の学校だったのかな?
いや、公立の高校じゃ。
県内屈指の高偏差値の名門校なんじゃよ。
100年以上の伝統・歴史を持つ「畝校」。登録有形文化財にも認定。
高市早苗さんの高校は、 中学時代と同様の奈良県橿原市にある「奈良県立畝傍高等学校 」 。
通称「畝校(うねこう)」と呼ばれており、県内では有名です。
明治29年(1896年)に創立された、伝統・歴史を持った高校です。
学校名 | 奈良県立畝傍高等学校 |
所在地 | 〒634-0078 奈良県橿原市八木町3丁目13-2 |
設立 | 1896年 |
勉強面においても非常に優秀な同校ですが、部活にも力を入れており、まさに文武両道の進学高。
ボランティア研究部、フォークソング部といった珍しい部活があるのも特徴的です。
写真は、校舎本館の北館になります。
100年以上の歴史がある建物だけど、外観もしっっかりしていて、おしゃれだよね~!登録有形文化財としても公式に登録されてるんだっ。
北館が校地の南側中央に北面して建ち、その南側に南館が平行する。両館の中央部を渡廊下で接続し、南館の北面西寄りに倉庫が建つ。
https://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/spot/unebikoutougakkou.html
設計を奈良県技師の寺師通尚と同技手の岩崎平太郎が担当した。北館正面中央に宝形造本瓦葺の塔屋を建てて相輪をあげ、また陸屋根の四周を本瓦葺にするなど、近代的な建物の要所に和風意匠を取り入れ、古都奈良に相応しい意匠とする。
校舎本館の南館・北館・渡廊下と倉庫(旧動力室)が、公式に「登録有形文化財」に認定されています。
県内の公立高校でNo.2の学力。関西圏の難関大学にも多数の生徒を輩出。
「偏差値:69」と難関校で、県内の公立高校では№2の学力を誇ります。
- 国立大学:108名
- 京都大学:4名
- 大阪大学:18名
- 神戸大学:9名
- 関関同立:590名
- 関西大学:185名
- 関西学院大学:38名
- 同支社大学:101名
- 立命館大学:75名
令和2年度の難関大学合格者数をみても、多くの学生を排出されてるよっ!
やっぱり関西圏の難関大学への進学率が高いんだねっ。
高市さんは、公立の中学から現役で同校に合格されており、当時から高い学力を備えていたことが伺えますね。
また、畝校は、その高い学力に比例するように、保護者からの評判も非常に高く、総合的にみても良質な学生生活を送ることが出来るようです。
一部、保護者の方の同校に対する口コミを掲載させて頂きます。
みんな仲良く、勉強のやる気を持っている子が多いので阪大などの難関国立を目指す方にはいいと思います。
しかし、自分自身で予習復習をしないと授業についていけなくなりかねないので、自律して勉強しないと難関大合格は厳しいと思います。
充実した高校生活が送れます。友達もしっかりした人が多くやはり畝傍にくる人はちゃんとしてるなぁと思いました。周りには国立志望の仲間も多く、いい刺激になります。勉強以外でも部活も活発で文武両道って感じですよ。
周りの人たちのレベルはもちろん高く、モチベーションも高いと思います。部活が休みの日やテスト前の期間は、放課後19:00ぐらいまで学校に残り、勉強をしている人も見られます。休み時間や放課後に自主的に教師に分からないところを質問しに行ったりもできます。学校行事もしっかりとやります。何事にも全力で取り組んでいると思います。
高校時代には「ヤンチャ」な一面も?!バイク通学や屋上で授業をサボることも
レベルの高い高校に通われていた高市早苗さんですが、当時から少し「ヤンチャ」な一面もお持ちだったようです。
過去に出版された、自伝的エッセーの中で高校時代のエピソードにも触れられており、、
- 校則で禁止されていた「バイク」で通学していた。
- たまに屋上で空を眺めて、授業をサボったことも。
大学時代の章で更に詳しく解説しますが、バイクに乗るようになったきっかけは、移動手段として必要だったからだそうです。
16歳からです。特にきっかけはなく、通学やバイト先への移動などに必要だったからです。
https://smart-flash.jp/sociopolitics/138670/1
時々、授業もサボったりと、息抜きもされていたようですが、大学は有名な関西の国立大学に進学されているんです。
【学歴】高市早苗の神戸大学時代。バイク・バンド活動・空手にとにかく多趣味!
大学も奈良県内の学校に進学されたのかな?
いやっ、大学で初めて奈良県を離れることになったんじゃ。
関西圏内ではあるが、兵庫県の神戸大学に進学されたようじゃの。
神戸大学・経営学部経営学科へ一般入試で現役合格。専攻科目は経営数学。
高市早苗さんは、神戸大学の経営学部経営学科に進学されました。
専攻科目は経営数学になります。
ちなみに、神戸大学が日本で一番初めに「経営学部」を設置した大学なんだよっ。
学校名 | 神戸大学 |
所在地 | 〒657-8501 兵庫県神戸市灘区六甲台町1−1 |
設立 | 1902年 |
高市早苗さんは、同大学に一般入試により、現役で合格されています。
高校時代にはヤンチャな一面もあったようだけど、勉強にもしっかりと取り組まれていたからこその結果だねっ!
また、大学時代には、その積極的な行動力で、様々なジャンルにチャレンジされていたようなんです。
学生時代は、阪神タイガースの応援、バンド活動(ヘビメタ・バンドでドラムスを担当)、バイク(愛車はZ400GP)で走り回ることに熱中していました。
https://www.kakugo.tv/person/det6y2zb.html
では、順番に見ていきましょう。
夏場はバイクでツーリング三昧!全国の海外沿線沿いの道はほとんど制覇!
まずは16歳の高校時代から、乗り始めている「バイク」。
移動手段として乗り始めたバイクでしたが、次第に「バイクに乗る楽しさ」に気付いたらしく、バイト代をツーリングにつぎ込む程、熱中されていました。
バイクが一番楽しめるシーズンは真夏と語られており、
- 風
- アスファルトの熱
を感じながら夏場を走る心地よさが、最大の魅力だそうです。
学生時代は、裏六甲や阪奈道路の大阪側など、カーブが多い道を攻めるのが好きでした。バイト代が貯まるとツーリングに出かけ、全国の海岸線沿いの道はほとんど走りました。
https://smart-flash.jp/sociopolitics/138670/1
高市さんが長年愛用されたバイクは「Kawasaki Z400GP」。
- 黒色ボディ
- 金色ホイール
がお気に入りで、こだわりを持たれていました。
また、国会議員になられてからも、「自身がバイクに乗っていた経験」が国会討論でも役に立ったことがありました。
2005年の「道路改正法」の法改正の際の事です。
現在も、バイクのレース映像を観るのは好きですし、ネットで各メーカーの人気モデルのチェックはしています。2005年に「道路交通法」改正(125cc超のバイクなら高速道路で2人乗りができるようにする改正)のときには、自分が乗っていた経験から、「2人乗りで一般道を走るよりは、高速道路を走るほうが事故率は低いはずだ」と主張し、法改正に貢献できました
https://smart-flash.jp/sociopolitics/138670/1
軽音楽部にてへビーメタル系ロックバンドのドラム担当していた!
続いて、音楽活動について。
神戸大学在学時には、軽音楽部に所属されており、ドラムを担当されていたそうなんです。
↑その当時の写真がこちら。
音楽のジャンルは、意外にもヘビーメタル系のロックバンドにて活動されていたそうなんです。
私は、個人的に、大学時代に軽音楽部ROCKというものに所属しておりまして、ヘヴィメタバンドのドラムをやっておりました。ただ私は中途半端な実力でしたので、音楽が何よりも好きだったのですが、プロにはなれず、途中から路線変更しました。
https://www.soumu.go.jp/menu_news/
%20kaiken/01koho01_02000594.html
高市早苗さんの好きなアーティストもヘビメタ系で、「デーモン閣下」「X JAPAN」のファンなんですよ。
2017年に行った「電波利用環境保護周知啓発強化期間」のイメージキャラクターに、デーモン閣下を起用され話題を集めました。
その際に記者から、デーモン閣下を起用した理由を聞かれた高市早苗さんはこのようなコメントを残されています。
閣下を起用したことについては、この迫力と、「電波のルールを遵守せよ」と上から目線で命令されても、閣下に言われたら絶対に逆らえないこと。また、背景が私の好きな色(青)でありまして、これが良いということで決めさせていただきました。
https://www.soumu.go.jp/menu_news/
kaiken/01koho01_02000594.html
他にも多数の趣味が!空手は黒帯でスキューバダビングの経験も!熱烈な阪神ファン。
こちら、空手道着姿の高市早苗さんです。
正拳突きのポーズも決まってるねっ!
帯の色は、僕と同じ「黒帯」かぁ!
画像から判断すると「黒帯」を着用されておりますが、一般的に黒帯の取得までに3~5年程かかると言われており、しかっりとした経験者であることが伺えますね。
ちなみに、2014年に自民党内で結成された「空手道推進議員連盟」のメンバーにも、高市早苗さんも入っておられます。
アクティブで行動力のある高市さんは、他にも「スキューバダイビング」にも挑戦されたり、、
スパーツ観戦がお好きな高市早苗さんは、阪神タイガースファンであることも公言されています。
某スポーツ新聞社が主催した「阪神タイガース座談会」でも、熱烈な猛虎愛を語られたそうです。(笑)
大学4年生の夏に人生最大の「ターニングポイント」を迎える。
高市早苗さんが人生最大のターニングポイントだったと語る出来事とは「経営の神様:松下幸之助氏」との出会いにあったようじゃ。
大学4年生の夏に、松下政経塾入塾試験・3次選考の為に試験会場のホテルに足を運んだ高市早苗さん。
その場所には、塾長の松下幸之助氏の姿もり、その際にはニコリともしない眼鏡の奥にある眼光の鋭さに、高市早苗さんは圧倒されたそうです。
大学4年の夏、初めてお目にかかった松下幸之助氏の眼光の鋭さに圧倒されました。
https://www.kakugo.tv/person/det6y2zb.html
肝心の面接の手応えに関しても全くなかったようで、松下幸之助氏に終始圧倒されてしまい、自分をアピール出来ずに、それどころかほとんど真面に喋れないまま、面接が終了してしまったようです。
只、後日、松下政経塾の職員から連絡が入った際には、まさかの「合格通知」を貰ったようなんです。
高市さんの話を聞く限り、合格の要素は「ほぼゼロ」に等しいと思うんだけど…。
何で合格できたの?
この時の面接の趣旨にポイントがあったようじゃ。
「松下幸之助氏が受験生の「顔」を直接見ること」が目的だったようじゃ。
一次・二次選考を通過している時点で、基本的な学力面・体力・時事問題への考え方は、合格の基準にあり、今回選考で松下幸之助氏が見たかった点は「運と愛嬌」だったそうなんです。
- 運の良さそうな顔
- 愛嬌のある顔
実は、この面接会場を出た瞬間に同職員によって、全受験生の顔写真を、隙を付く形で撮影しており、その際に高市早苗さんは反射的に満面の笑みを作って写真に収まったそうなんです。(笑)
その顔写真が、松下幸之助氏の選考基準を見事にハマり、合格に至ったんだねっ!
松下幸之助氏らしいと言いますか、何とも独特でユニークな選考基準ですよね。(笑)
大学4回生の夏ということもあり、既に一般企業から内定を貰っていた高市早苗さんですが、このチャンスを活かすために、内定を蹴って松下政経塾への入塾を決断されます。
すでに内定していた就職先を断り、松下政経塾に進むことについて、「夢があって、いいじゃない」と応援してくれた両親に感謝しています。
https://www.kakugo.tv/person/det6y2zb.html
高市早苗さんの一連の学歴情報のまとめは以上になります。
っが、以前に高市早苗さんの学歴に関して「詐称疑惑」が浮上したことがあったんです…。
【経歴】高市早苗に学歴詐称疑惑?!議会立法調査官は造語だった!
高市早苗さんの学歴についてはよく分かったんだけど、「学歴詐称」のキーワードが浮上してるんだけど、どうしてなの?(汗)
以前にあるジャーナリストに指摘されたあれの事かの…。
正確に言うと、学歴詐称ではなく「経歴詐称」疑惑の件じゃな。
一体何があったのでしょうか…。
真相を確かめる為に、大学卒業後の高市早苗さんの経歴について、みていくことにしましょう。
松下政経塾を経てアメリカへ。「議会立法調査官」として勤務とあるが…
神戸大学経営学部を卒業後、1984年に松下政経塾の5期生として入塾された、高市早苗さん。
松下幸之助氏の元で学ぶ中で、同氏が訴えられていた「日本の将来についての危機感」について、高市さんも共感する点が大きかったようで、本格的に「政治の世界」へと足を踏み入れることを決意されます。
24歳の春(1985年)に松下幸之助氏から、1990年以降に起こり得る大きな変化(安全保障の枠組み、産業構造、日本経済等)についての予測を伺い、政策的な備えの必要性を痛感。国政の場で働くことを決意しました。
https://www.kakugo.tv/person/det6y2zb.html
そして、高市さんが松下政経塾に入塾してから3年後の1987年に渡米し、現地の議員事務所にて「議会立法調査官」として、勤務されています。
↑こちら、米国連邦議会オフィスにて撮影された、当時の高市早苗さんです。
1987年、アメリカ合衆国へ渡り、左派リベラルでフェミニズム運動の急先鋒だった民主党下院議員、パトリシア・シュローダー(英語版)の個人事務所でコングレッショナル・フェロー(一定の団体のスポンサーシップにより、アメリカ合衆国議会の議員事務所や委員会に派遣される制度[7])として勤務した。
Wikipedia より引用
この「コングレッショナル・フェロー」での経験を、帰国後には「 議会立法調査官 」という肩書で称し政治活動をされていました。
しかしこの点に関して、とあるジャーナリストから「経歴詐称なんじゃないか?」と指摘され話題になった過去があったんです。
「議会立法調査官なんて聞いたことがない!」鳥越氏が経歴詐称を指摘!
経歴詐称疑惑を指摘されたのは、2016年。
当時、高市早苗さんが総務大臣を担当されていました。
高市早苗総務大臣(55)に経歴詐称疑惑が浮上している。
高市大臣は「議会立法調査官」として、アメリカ議会で働いていたことを最大のセールスポイントにしているが、「議会立法調査官なんて聞いたことがない」「官職名をデッチ上げているのではないか」と、疑惑の目を向けられているのだ。
きっかけはジャーナリスト、鳥越俊太郎氏の発言だ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/178336
そのジャーナリスト・鳥越俊太郎氏の発言内容がこちら。
趣旨から少し外れるんだけど、これ言っておかないといけないかなって。高市早苗さんは、議会立法調査官をやっていたという触れ込みで日本に帰ってきて、田原さんの“朝まで生テレビ!”に出たんですよ。
https://www.nikkan-gendai.com/
ところが、彼女は見習い待遇で、無給で、未契約のフェロー、つまりコピー取り程度、お茶くみ程度のことしかやっていない。
だから、経歴詐称だよね、僕に言わせれば。経歴詐称。
articles/view/news/178336/2
- 議会立法調査官ではない。
- そもそもこんな「官職名」は聞いたことがない。
- 実際は「未契約のフェロー」
- 見習い待遇
- 無給。
- コピー取り・お茶くみが業務。
また、鳥越氏は、この発言に関して、このようなコメントも残されています。
もし、これで私が名誉毀損で訴えられるなら、受けて立ちます
https://www.nikkan-gendai.com/
articles/view/news/178336/2
喧嘩腰と言いますか、相当な自信がおありのようですね。
確かに当時この報道があった際に、色々と調べが入った結果、
- 高市早苗氏がアメリカの議会に採用されたという記録は見つからなかった。
- 「議会立法調査官」という肩書・名称さえ見当たらない。
うーん、確かにここまでの経緯を見ていると、鳥越氏の指摘が正しいように感じちゃうよね…。高市さんがどう考えてるのか気になるね?
高市早苗さん事務所の反論「議会立法調査官」は造語で現在は使用なし
鳥越氏の「経歴詐称疑惑」の指摘に関しては、高市さんの事務所が当時コメントを残されていました。
高市大臣は、本当に「議会立法調査官」としてアメリカ議会に採用されていたのか。もし、虚偽だったら議員を辞めざるを得ないのではないか。高市大臣の事務所はこう言う。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/178336/2
高市がコングレッショナルフェロー(議会研究員)をしていたのは事実です。確かに議会から報酬は出ていませんが、松下政経塾のアメリカの研究所が高市のスポンサーとなり、議員事務所で働いていたのです。コングレッショナルフェローには、選ばれた人しかなれません。ただし、“議会立法調査官”は造語です。現在は、誤解を招くので、その名称は使っていません。
- コングレッショナルフェローをしていたのは事実
- 報酬が出ていないのは事実
- 松下政経塾がスポンサー
- 選ばれた人しかなれない
- 「議会立法調査官」について
- 「造語」。
- 現在は使用していない。
「コングレッショナルフェロー」の肩書は実在する言葉のようですが、
「議会立法調査官」は造語ということなので、言い方は悪いですが「勝手に独断で作成した肩書」と言うことですね。
高市さんサイドにどういった意図があったかは分からないけど、
少しでも経歴に花をつけたくて、少し盛るような形になったのかなあ…。
また、IWJの記者からも高市早苗さんの事務所に、コングレッショナルフェローに関する質問をFAXで送っていたらしく、、、
IWJ記者は高市大臣の事務所にFAXを送っていた。問い合わせをしたのは、高市大臣のホームページに書かれた、「米国連邦議会Congressional Fellow」という肩書についてだ。
ネット上にはこの肩書をめぐって、「コピー取りやお茶くみの仕事だった」という噂が飛び交っている。”Congressional Fellow”とは、実のところいったい、なんなのだろうか?
「コピー取りやお茶くみの仕事だった、という話は本当でしょうか? 仕事内容を詳しく教えてください」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/306091
記者からのFAX質問に対する、高市さん事務所の回答内容がこちら。
高市議員のCongressional Fellowとしての当時(1987~1988年)の仕事は、Patricia Schroeder(パトリシア・シュローダー)下院議員の議員立法やスピーチのための調査などです
上記のコメントはFAXにて回答があったようですが、併せて、シュローダー下院議員の署名入りの「コングレッショナルフェロー証明書」も一緒に添付されていたようです。
↓その証明書がこちらです。
「議会立法調査官」の肩書は、高市さんサイドが作った造語ですが、
「コングレッショナルフェロー」の肩書は、アメリカに存在し、実際にその肩書で高市早苗さんが働いていたということは、間違いなさそうですね。
この証明書は、推薦書の役割も担っているようで「高市早苗さんが有能であること」が記されているんだって!
高市早苗さんの反論コメント。コングレッショナルフェローを詳しく説明!
高市早苗さんご本人も「Congressional Fellow(コングレッショナルフェロー)」に関して、コメントを残されています。
Congressional Fellowというのは、大学の助教授クラスの人だとか、民間の研究機関に所属していて、そこがお金を出して、派遣してくるような方が多いと承知しています。私の場合は当時、松下(政経塾)の方からお金が出ていました。
コングレッショナルフェローは、本来の「議会勤め」のような「米国連邦議会から給料を貰い仕事をする立場」とは異なる職種。
つまり、そもそも鳥越氏の指摘にあった「無給」と言う点は「お門違い」と言うこと。
コングレッショナルフェローは、働いてる機関からではなく、研究機関などの別のスポンサー的な立場から、お金を貰っているのが一般的と言うことじゃな。
高市早苗さんの場合、スポンサーの役割を担っていた機関が「松下政経塾」だったということですね。
また、仕事の内容にて指摘のあった「コピー取り・お茶くみ」に関しても、真っ向から否定されています。
まずご承知だとは思いますけど、アメリカの議会の事務所でお茶くみという仕事はないですし、みなさんコーヒー飲みたいときは自分でいれて飲みます。それから、コピー取りっていう仕事を頼まれたことも、まずないですし。だから私は(コピー取りやお茶くみなどという噂を聞いて)とてもびっくりしました
そして実際に行っていた仕事に関しても、具体的に説明されています。
アメリカの国会議員の場合は、ものすごい数の議員立法を出しますでしょ。それに必要な調査をしていたということですね。立法自体は、議員が出さなければいけないんですけれども。
「議員立法」とは
議員立法(ぎいんりっぽう)とは、立法府に所属する議員の発議により成立した法律の俗称である。立法行為そのものを指す場合もある。
Wikipedia より引用
当時、高市さんが行った「議員立法に必要な調査」の内容を一部抜粋すると、
- モーゲージレートとその国の住宅政策との関係を調査
- 環太平洋の国から輸出をする場合の価格競争力を全て比較
- 州政府が行うスモールビジネス政策について調査
- etc…
上記のような調査依頼が次々と舞い込んでくる状態で、提出納期も1週間などの短期間の依頼が多かったようですね。
コングレッショナルフェローの主な仕事の流れを整理すると、
- 議員立法に必要な調査依頼が入る
- 依頼内容をリサーチ
- レポート作成
- 法律案の主要・幹になる箇所の結論を作成
- 提出
「議会立法調査官」という造語を作り、世間に公表していた点については、よろしくなかったかもしれませんが、
「コングレッショナルフェロー」として、このような仕事に取り組んでおられたのに、「コピー取り・お茶くみ」で片づけられてしまうのは、遺憾ですよね。。
高市早苗の経歴まとめ!渡米、キャスター時代や各政権の役職を詳しく!
最後に高市早苗さんの大学卒業後の経歴をまとめてみたよっ!
- 政界に入る前(渡米、キャスター・タレント時代)
- 政界進出(各政権での役職)
の2つに分けてまとめておいたからの。
高市早苗の経歴まとめ①:政界進出前(渡米、キャスター・タレント)
- 1984年:松下政経塾に5期生として入塾
- 1987年:渡米
- 勤務先は、米民主党下院議員(パトリシア・シュローダー氏の個人事務所。
- コングレッショナル・フェローとして働いた。
- 1989年:日本に帰国
- 日本経済短期大学(現・亜細亜大学短期大学部)助手に就任
- 1990年:フジテレビの情報番組に出演
- 「朝だ!どうなる?」のメインキャスター就任。
- 1992年
- 関西ハイビジョン・コンソーシアムを設立(会長に就任)。
- 第16回参議院議員通常選挙に奈良県選挙区から無所属として出馬 ⇒ 落選
↑こちらの記事でも、高市早苗さんの若い頃の画像・エピソードを詳しくまとめいるよっ!
高市早苗の経歴まとめ②:政界進出(政務調査会長、総務大臣)
- 1993年
- 第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬。
- 得票数トップで初当選を果たす。
- 1994年:政策集団「リベラルズ」に参加。
- 1996年
- 第41回衆議院議員総選挙に奈良1区から新進党公認で出馬 ⇒ 再選。
- 11月5日に新進党を離党。
- 12月27日に自由民主党(自民党)に入党。
- 1998年:小渕内閣
- 通商産業政務次官に就任。
- 2000年:森政権
- 第42回衆議院議員総選挙に比例近畿ブロック単独で出馬 ⇒ 3選。
- 7月11日に、森首相の「勝手補佐官」を自称。
- 2002年:小泉政権
- 第1次小泉改造内閣で経済産業副大臣に就任した。
- また、自民党による一般向けの政治講座「きょうと青年政治大学校」の講師も務めた
- 2003年:第43回衆議院議員総選挙に奈良1区で出馬 ⇒ 落選。
- 2004年
- 自民党議員の山本拓と結婚。
- 4月、近畿大学経済学部教授に就任。
- 2005年:第44回衆議院議員総選挙に奈良2区で出馬 ⇒ 当選し、国政に復帰。
- 2006年:第1次安倍政権
- 第1次安倍内閣で初入閣
- 内閣府特命担当大臣に就任。。
- 2008年:福田政権、麻生政権
- 福田康夫改造内閣で経済産業副大臣に就任
- 麻生内閣でも再任。
- 2009年
- 第45回衆議院議員総選挙に奈良2区で立候補して敗れる。
- 比例近畿ブロックで復活当選して、5選された。
- 2011年:清和政策研究会を離脱し無派閥。
- 2012年:自民党広報本部長に就任した。
- 2012年:第2次安倍政権
- 第46回衆議院議員総選挙で6選。
- 第55代自民党政務調査会長に就任(女性初)。
- 2014年
- 女性初の総務大臣に就任。
- 第47回衆議院議員総選挙で7選。
- 12月24日に発した第3次安倍内閣でも総務大臣に再任。
- 2017年
- 6月20日、総務大臣の在任日数が歴代1位。
- 7月19日、山本拓と離婚。
- 8月3日、内閣改造によって大臣を退任。
- 10月の第48回衆議院議員総選挙で8選。
- 11月、自民党サイバーセキュリティ対策本部長に就任。
- 2018年:衆議院議院運営委員長に就任。
- 2019年:第4次安倍再改造内閣
- 再び総務大臣に就任。
- 2020年:安倍内閣の総辞職⇒菅義偉内閣の発足に伴い、大臣を退任。
- 2021年:8月26日、正式に総裁選出馬を表明。
高市早苗の学歴・経歴 まとめ
- 小学校時代
- 奈良市立あやめ池小学校(小学1年生~2年生)
- 橿原市立畝傍南小学校(小学3年生~6年生)
- 転校をきっかけに活発に振舞えるようになった。
- 橿原市畝傍中学時代
- 通学県内にあった公立の学校へ
- 高校進学の為に勉強中心の生活を送った
- 奈良県立畝傍高等学校時代
- 県内の公立高校では№2の学力を誇る名門校
- ヤンチャエピソード
- 校則で禁止されていた「バイク」で通学
- 屋上で空を眺めて、授業をサボったことも
- 神戸大学時代
- 経営学部経営学科に所属。専攻は「経営数学」。
- 夏場はバイクでツーリング三昧!
- 軽音楽部にてへビーメタル系ロックバンドのドラム担当
- 他にも空手、スキューバダイビング、スポーツ観戦と多趣味
- 人生のターニングポイント:大学4年の夏に松下幸之助氏と出会う。
- 学歴詐称疑惑について
- 正確に言うと「経歴詐称」疑惑
- 渡米時の肩書「議会立法調査官」が詐称疑惑の原因
- 「議会立法調査官」は造語
- コングレッショナルフェローは正式な肩書として存在する。
- 立法のために必要な調査や分析を行いレポートを作成
高市早苗さんに高潔なところだけを残していれば良いのに。