二刀流での更なる飛躍ももちろんですが、日本人初のMLBホームラン王にも期待がかかる、エンゼルスの大谷翔平選手。
大注目を浴びる大谷選手の家族に関しても、気になる方は多いのではないでしょうか。
本記事では、大谷選手の母親・加代子さんに焦点を当て、超詳しく・分かりやすく解説していきます。
目次
【顔画像】大谷翔平の母親:加代子の身長・年齢・出身・旧姓は?実家は横浜の鶴ヶ峰!高校の情報も紹介!
↑こちらの方が、大谷選手の母親・加代子さんご本人です。
大谷翔平の母親・加代子さんの基本プロフィール情報
大谷選手の母:加代子さんに関する「基本プロフォール情報」をまとめてみたよっ!
- 名前:大谷加代子(かよこ)
- 旧姓:不明
- 生年月日:1963年 ※月日は不明
- 年齢:58歳(2021年時点)
- 出身地:神奈川県横浜市
- 実家:神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰
- 身長:170cm
- 学歴:神奈川県立横浜立野高校
- 職歴:三菱重工横浜
- スポーツ:バドミントン
- 3人姉妹の真ん中
気になる特徴的なプロフィールがいくつか見られるのっ。
各項目毎に詳しくみていこうかのっ。
母:加代子さんは横浜出身で実家は鶴ヶ峰!年齢はダウンタウンと同じ!
大谷選手の母親:加代子さんは、神奈川県横浜生まれ・横浜育ち。
実家は、横浜市の旭区鶴ヶ峰。
中心地である横浜駅までは、約10キロ弱・車で約20分程の距離に位置しています。
鶴ケ峰(つるがみね)は、横浜市旭区の町名。二俣川とともに横浜市の主要な生活拠点(旧:副都心)を形成する[5]。現行行政地名は鶴ケ峰一丁目及び鶴ケ峰二丁目。住居表示は未実施[6]。
Wikipedia より引用
加代子さんが大谷選手を連れて実家に帰省された際には、鶴ヶ峰神社に一緒に参拝されていたそうよっ!
学生時代も、小・中・高校と神奈川県内の学校に通われていたようです。
小学校・中学校の具体的な学校名については、調べても情報は無かったのですが、高校は地元の学校を選択されたようで、横浜立野高校に入学。
高校卒業後は、大学には進学せずに、三菱重工に就職されました。
1963年生まれで、2021年に58歳になられたようです。
1963年生まれってことは、ダウンタウンや唐沢寿明さんと同い年なんだね!
- 浜田雅功(お笑い芸人)
- 松本人志(お笑い芸人)
- 唐沢寿明(俳優)
- 松重豊(俳優)
- 片桐はいり(女優)
- 阿部知代(アナウンサー)
母:加代子さんの高校は、バドミントンの強豪校「神奈川県立横浜立野高校」
大谷選手の母親が通われた高校について、ちょっとみてみよう!
- 所在地:神奈川県横浜市中区本牧間門40-1
- 設立:1936年
- その他情報
- 80年以上の歴史ある高校
- 創立時は女子高。1950年から男女共学へ。
- 平成26年4月から校舎が新しくなった。
横浜市中区にある県立の高校。
偏差値「50」と学力面では平均レベルです。
部活動に関しては、運動部・文化部共に種類豊富で積極的に活動されているようで、
空手部は男女共に実力が高く、全国大会への出場実績もあるほどです。
そして、何といっても、横浜立野高校はバドミントンの強豪校として有名なんですね。
後ほど詳しく解説しますが、加代子さんも所属されていました。
学校設立から80年近く経過しており、非常に歴史のある学校ですが、建造物の老朽化対策もあって、約1年半かけて全面建替工事を実施されたようです。
新しい校舎は、近隣環境への影響を考慮して建物を東側に配置するとともに、階数を従前の4階から3階に減らし高さを抑えています。
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/en5/cnt/f6093/p814807.html
また省エネの取組みとして、全館にLED照明を導入し、西日を抑制するため2層にまたがるルーバーを設置しています。このルーバーは本校のデザインを特徴付けるものとなっています。
大谷翔平の母親:加代子は元バドミントン選手。全国準優勝の実力!
大谷選手のご家族は、「スポーツ一家」として有名なんです。
加代子さんは、バドミントンに取り組まれていたそうで、学生時代に全国大会への出場経験もあるんだって!
では、加代子さんのバドミントン関連情報を詳しく見ていきましょう。
バドミントンを始めたきっかけはご両親。中学では全国大会で準優勝。
大谷選手の母親:加代子さんがバドミントンを始めたのは、小学校5年生の時。
その当時、加代子さんの自宅近所のバドミントンクラブが、新メンバーを募集していたこともあり、そのクラブに入会したのが始まりだそう。
自分の両親から、「暇ならスポーツでもすれば?」と言われたのがきっかけで、バドミントンを始めたんです。(笑)
最初は、加代子さんご本人が、バドミントンをやりたかったわけではなかったようですね。(笑)
ただ、元々の運動神経は良かったようで、バドミントン選手としての実力をメキメキと付けていきます。
中学校に入学してからも、バドミントン部に所属。
中学3年時に団体戦メンバーに選ばれ全国大会出場を果たし、準優勝という好成績を収めます。
ちなみに、中3時の全国大会決勝では、熊本県代表:八代市立第三中学校に敗北を喫しましたが、元バドミントン選手で、スポーツジャーナリストの陣内貴美子さんがいらっしゃったようです。
加代子さんと陣内さんは同学年で、これ以降も何度か対戦する機会があったみたいですよ。
高校はインターハイ常連校へ。毎日のスケジュールは超ハードだった!
中学卒業後は、記事冒頭でも触れました、当時バドミントンのインターハイ常連校として有名な、神奈川県立横浜立野高等学校に進学を決めます。
ただ、当時この高校に毎日通うには、距離の面で非常に厳しかったようです。
横浜立野高校へは、越境入学(えっきょうにゅうがく)だったんです。
越境入学とは、決められている通学区外の公立高校に通うことじゃ。
別途申請も必要なんじゃよ。
当時、加代子さんの自宅は、横浜市旭区にお住まいでした。
横浜立野高校がある横浜市中区までは、片道約18㎞の位置関係にあります。
自転車で通うとなると、往復36㎞にもなり、部活で夜遅くなることも十分想定されますから、その距離を女子高生が通うのは体力・安全面でも現実的ではないですね。
加代子さんは、電車とバスを乗り継いで通学したようですが、その場合でも約1時間かかる距離だったようです。
高校時代の毎日の流れを見たら、かなりハードでびっくりしちゃったよ!(汗)
土日も休まずフル稼働だったんだね…
- 4時台に起床・支度。
- 毎朝5時台の始発に乗り学校へ。
- 授業の前に1時間ほど朝練。
- 日中は、学校の授業受ける。
- 放課後も19~20時まで練習。
- 帰宅は21時以降。
(※ 土日祝日も基本休みなし)
只、ここまでのハードな練習をこなしても、他校のライバルには敵わなかったようで、、
練習は厳しかったです。それでもインターハイでは1回か2回勝っても、なかなか上には行けませんでした
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158619
ハードな練習を毎日こなしても、上には上がいたようですね…。
只、積み上げた努力に対して、結果が伴わなくとも、加代子さんのバドミントンに対する情熱が冷めることはなく、
高校卒業後も、「バドミントンを続けたい。」という思いは、抱いておられました。
1980年代の女性の四年制大学進学率は、12~15%でした。同年代の男性は34~40%でした。
女性の四年制大学進学率 より引用
当時の女性は、8割強の方が、大学進学せずに、就職されるのが一般的だったようで、加代子さんも高校卒業後の進路は、就職を考えておられていたようです。
全国的に見ても、バドミントンチームを抱えている企業は少なかったようですが、その内の1つの企業が、「三菱重工横浜」だったんです。
また、三菱重工横浜は、横浜立野高校からも近く、当時の高校バドミントン部の顧問の先生が、三菱重工のバドミントンチームのことをよく知っていた経緯もあり、加代子さんは「三菱重工横浜」の入社試験受験に至ったそうです。
加代子さんが学生時代に、バドミントンに対して熱意を持って取り組まれていたことが良く分かるねっ!
高校卒業後は「三菱重工横浜」に就職。そこで夫である徹さんと出会う!
加代子は三菱重工横浜の勤労部安全衛生、安全保安課に勤務、バドミントン部に所属していた。
引用元: https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158534/3
入社試験も無事に通過し、「三菱重工横浜」への就職が決まった加代子さん。
ただ、横浜立野高校時代とは異なり、三菱重工横浜のバドミントンクラブは、そこまで力を入れて取り組んでいるわけではなかったようです。
- 練習は平日の2日間と土日。
- 平日は就業時間後の夕方に行っていた。
- 成績は社会人大会の県予選でベスト4に入るくらい。
- 全国大会に出られるかどうかというチーム。
社会人になってからも、バドミントンクラブに所属していましたが、ガッツリやっていたわけではなく、実際の生活は、一般的なOLさんと変わらない生活を送っていました。
学生時代とは、打って変わって、時間に余裕のある生活を送られていたようですね。
そんな加代子さんしたが、入社1年目に「運命の出会い」を果たします。
そう、加代子さんの夫であり、大谷翔平選手の父親であられる「徹さん」との出会いですね。
当時、徹さんは、三菱重工横浜のグループ企業に勤めおられており、野球部に所属しておられました。
三菱重工横浜は自社野球部に対して、かなり力を入れて取り組んでいたようで、大谷ご夫妻は当時の心境をこのように語られています。
新入社員の男子は応援部、女子はチアガールのようなものをやるのが義務付けられていたのです。で、結団式というか、集まりの中で知り合いました。応援される方と応援する方で。結団式とか壮行会とか、酒の席があったりして、そこで、です。当時、僕は入社2年目でした。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158619/2
女子は50人くらい新人がいました。野球部は社を挙げて応援していましたからね。当時はナイターでしたので、試合は6時くらいから始まっていたと思います
加代子さん・徹さんの馴れ初めは、三菱重工横浜の野球部絡みだったんですね。
たられば話になりますが、もしこの出会いが無ければ、ベーブルースの再来と認められつつある、スーパースター「大谷翔平選手」の誕生もなかったと思うと、運命的な物を感じますね。
大谷翔平の父親:徹さんにまつわる詳しいエピソードはこちらの記事で解説しておりますので、是非併せてご一読下さい。
大谷翔平も幼少期は、母親の影響でバドミントン経験あり!
↑大谷選手の幼少時代の写真です。めちゃ可愛いですね(笑)
野球と出会う前は、二つのスポーツに親しんだ。まず、バドミントン。これは、高校総体や国体に出場経験がある加代子さんの影響が大きい。大谷が生まれたころは趣味として続けており、練習にもよく連れて行っていたという。幼稚園の年長になると、スイミングスクールにも通った。
https://www.asahi.com/articles/ASK9V36PKK9VUTQP007.html
大谷選手も、母である加代子さんの影響もあって、野球を本格的に始める前に、バドミントン経験があったようですね。
小学校時代は外でわたしと、お姉ちゃんと3人でバドミントンをやるとか。家の中ではバドミントンの羽根を打つみたいなことはやっていましたね。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/159217
大谷選手は、小さい頃から、身体を動かす機会が多かったんですね。
花巻東高校で大谷選手の2歳先輩だった佐々木大樹さんは、2人が幼稚園児の頃からの知り合いで、バドミントンと水泳を大谷選手と一緒にやっていたらしく、
翔平のスマッシュは速いし、水泳も僕が6年生のときは、4年生の翔平が同じコースで泳いでいました。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158619/2
大谷選手は、幼稚園の頃から運動能力の高さを発揮されていたようで、バドミントン・水泳でも周囲を驚かせていたんですね。
また、メジャーリーガーになった現在も、バドミントンをやる機会があると、大谷選手ご本人がおっしゃられていました。
小さいころは(バドミントンを)やっていた。プロになってからもトレーニングの一環でちょっとやることがある。
「しっかりとタイミングを見て羽根を打つ」といった、バドミントンの基本動作は、バッティングに通じる点もあり、野球にもいい影響を与えたのかもしれませんね。
【画像】大谷翔平の母親・加代子は身長170cm。大谷家全員が高身長!
大谷選手の母親:加代子さんの身長は「170cm」と非常に高身長なんです。
ここでは、大谷一家の身長に関する情報をまとめてみました。
大谷一家全員が高身長。家族全員が日本人男性の平均以上の身長!
大谷選手ご本人が190cm以上の高身長なのは、周知の事実ですが、
大谷選手と母:加代子さん以外のご家族の方も、身長が高いみたいですよ。
家族全員が高身長って本当なのかな?
大谷一家5人の身長を見てみよう!
- 父(徹さん):182cm
- 母(加代子さん):170cm
- 兄(龍太さん):187cm
- 姉(結香さん):168cm
- 大谷翔平選手:193cm
確かに、5人全員背がかなり高い…(汗)
身長ってやっぱり遺伝が大きく影響するんだねっ!
因みにWikipediaに記載あった、20歳以上の日本人の平均身長がこちらになるよっ!
- 日本人男性の平均身長:168.0cm
- 日本人女性の平均身長:154.5cm
日本人の平均身長を上回っているのは、もちろんですが、母・加代子さんと姉・結香さんも、日本人男性の平均以上の身長なのは驚きですね。
また、加代子さんが、過去のインタビューにて、家族の身長に関するエピソードとして、このようなコメントを残されています。
昨年の正月、大谷がプロ1年目を終えたシーズンオフのことだ。
大谷は姉の結香(22)と、母・加代子(51)の姉の子供たち、いとこの男女2人と、計4人で横浜の街中を歩いていた。すると、通りすがりの人々はみな、「えっ?」と目を白黒させながら振り向いた。
大谷は当時から二刀流ルーキーとして注目されていた。中には大谷だと気付いた人もいたのかもしれない。しかし、往来の人々を驚かせたのは、大谷が有名人だからではなかった。加代子がケタケタと笑いながらこう言った。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158579
翔平と私の姉の息子が192センチ、結香と、姉の娘が168センチ。190センチが2人と170センチ近い女の子がヒールを履いて歩いてたわけですから。そろって背が高いので、当人たち同士は同じ目線なんですけど、外から見たらねえ……
誰もが羨む高身長ですが、背が高すぎるが故の悩みもあるみたいですね。(笑)
それにしても、いとこの人達も高身長って…、パパの言う通り、身長にDNAが深く関与しているなと再認識させられるわねっ!
メジャーリーガーに引けを取らない「大谷選手の体格」は、ご本人の努力も大きいですが、ご両親に感謝する部分もありそうですね。
おじいちゃんも高身長!加代子さんの父も野球経験者で「二刀流」!
大谷一家が高身長なのは、十分に分かりましたが、加代子さん・徹さん、ご夫婦の「父親」も身長が高かったようですよ。
大谷選手からしたら、「おじいちゃん」に当たる方々だねっ。
- 徹さんの父:正幸さん 身長180cm
- (大谷選手の父方のおじいちゃん)
- 加代子さんの父:明さん 身長174.5cm
- (大谷選手の母方のおじいちゃん)
父(正幸)が授業参観で学校に来ると、同級生の父兄の中で頭ひとつ出ていました
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158579/2
身長に関しては、大谷選手のおじいちゃんの代からの遺伝のようですね。
加代子さんの父:明さんも、身長は180cmには届かずとも、174.5cmという身長は、当時の1970年代としては、平均身長の約+10cm程高かったようですね。
また、明さんは学生時代に、野球部に所属されていたようです。
加代子の父・明は中学時代、野球部に所属してエースで4番だった。短距離の記録がしばらく破られずに残っていたそうだから、運動神経は良かった。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158579/3
おじいちゃんの明さんも、大谷選手同様「二刀流」で活躍されていたんだっ!
大谷選手は毎年6cm背が伸びた?!中3の時点で身長187cmに到達。
こうやって、他の方と横並びになると大谷選手のデカさが伝わってきますね。
写真中央のマーク・アンソニーさん(ラテン歌手)も身長170cmあるんですが、
チャップマン選手と大谷選手に挟まれているのでかなり小さく見えてしまいます。(笑)
大谷選手は、幼稚園の頃から大きかったようですが、中学生の頃が一番の成長期だったようですね。
体は幼稚園のころから常に大きな方。それでも幼稚園にも小学校にも大谷並みに大きな子供はいたし、今のように飛び抜けてというわけではなかった。線が細かった。
背丈がぐんぐん伸びたのは中学時代だった。中1のとき166センチだった身長は、3年間で20センチ伸び、卒業時には185~186センチあった。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158987/3
学生時代の大谷選手を傍で見守った、母:加代子さんとしては、大谷選手の身長が急激に伸びたという感覚は無かったようです。
あるとき急激にという感じではなく、毎年、6センチくらいずつ伸びて、気が付いたら、という感じですね。牛乳が大好きで、中学のときは毎日、1リットル飲んでました。冷蔵庫の中に1リットルのパックを入れておくのですが、コップを使わずにそのまま飲んでました
「毎年6cm伸びる」って、一般的には中々ないと言いますか、十分急激に伸びているような気もしますが。(笑)
毎年それが続くと、傍にいた加代子さんにとっては、「普通」だったのかもしれませんね。
また、大谷選手の中学時代の同級生の証言では、身長関連で大谷選手の伝説エピソード紹介してくれています。
勘の良い方は、お気づきかもしれませんが、「毎年6cm伸びる」という大谷選手の驚異的な成長に、衣服類はついていけなったようで…(笑)
同級生の証言では、学校ジャージは、いつも「七分丈」状態だったと言います。(笑)
サイズが合わなくなる度に、ジャージは買い直していたようですが、買っても、買っても、ジャージのサイズが大谷選手の成長に追いつくことはなかったようですね。(笑)
少し可哀想な気もするけど、贅沢な悩みだねっ!(笑)
【画像】大谷翔平は母親:加代子さんが大好き過ぎてマザコンだった?!厳選エピソード5選!
ここからは大谷選手と母親:加代子さんに関する、微笑ましいエピソードを中心にご紹介させて頂きます。
そんな素敵なエピソードを語ってくれたのは、大谷選手が小学生時代に所属されていた「水沢リトル」時代の、チームメイトのママさん達。
知ってることは何でも話してくれそうなママさん達だねっ!(笑)
エピソード①:大谷選手はお母さんが「大好きで甘えん坊」だった!
リトルママ曰く、小学校時代の大谷選手は、とにかくお母さんである「加代子さん」の事が大好きだったんだとか。
おまけに甘えん坊。(笑)
大谷選手は、3人兄弟の末っ子ですし、その点も影響してるのかもしれませんね。
小学校の頃って、よく友達の家で「お泊り会」とかやるけど、
大谷選手は、平気だったのかな?
はい、その点に関しても、リトルママからしっかり情報貰ってますよ。(笑)
友達同士でのお泊り会は、定期的に行われていたようですが、大谷選手が「お泊り会」に参加されたのは、たった1回だけだったようですね。
リトルママが何回も「泊りにおいで~」と誘った結果、ようやく、加代子さんから離れられたようです。(笑)
大好きな母・加代子さんのいる自宅で、当時の大谷選手は過ごしたかったのかもしれませんね。
具体的な甘えん坊エピソードとしては、
小学生時代の試合で、大谷選手がピッチャーで出場し、相手バッターに打たれてしまった際には、いつも試合を観戦してくれていた加代子さんの元へ、大谷選手が駆け寄り、慰めて貰っていたそうです。(笑)
エピソード②:大谷選手の好きな女性のタイプが「母親」と一致
小学生だった当時の大谷選手に対して、
「好きなタイプ」に関する質問をする機会があったらしく、
気になる大谷選手の回答は、、
- 笑顔が素敵
- スポーツ万能(加代子さんはバドミントンで全国大会準優勝)
確かに、大谷選手が挙げた特徴は、どちらも加代子さんに当てはまりますね。(笑)
この大谷選手の回答を聞いた、リトルママ達のみんなが、
「絶対お母さんの事だよねっ!」と話題になったみたいよ!(笑)
エピソード③:お母さんのお弁当のおかずで何が好き?と言う質問に対して…
水沢リトルの卒団式にて、壇上で修了性代表として挨拶する大谷翔平選手。
周囲の子供と比較しても、やはり一回りサイズが大きいですね。
その際に、司会者の男性から、このような質問をされた大谷選手。
お母さんのお弁当のおかずは、何が一番好きでしたか?
非常に悩まれた様子の大谷選手。
やっぱり食べ盛りの時期ですから、ガッツリ系のメニューとかですかね?
「唐揚げ」とか、「しょうが焼き」とか。(笑)
悩まれた末の、大谷選手の回答は、、、
流石、大谷選手。
これは、100点満点の回答じゃないでしょうか。(笑)
忙しい中、毎日大谷選手の事を思って、お弁当を作った母・加代子さんも、めちゃくちゃ嬉しかったでしょうね。
エピソード④:食が細かった大谷選手に加代子さんが実践した工夫とは…
意外に思われる方も多いかもしれませんが、幼少期から身体の大きかった大谷選手ですが、普段は少食だったんだとか。
母親の加代子さんとしては、身体が出来上がっていく成長期に、「たくさん食べて強い体になって欲しい…」と思うのが、親心よね。。
そこで、加代子さんが実践した工夫というのが、「ホットプレート」だったんです。
小さいころから食が細かった大谷選手のために、母親の加代子さんが“なんとか楽しく食べられる雰囲気をつくろう”と苦心していたそうなんです。それで思いついたのが、ホットプレート。週末は家族そろってホットプレートを囲めば、会話もはずんで知らず知らずのうちに、いつもは小食な大谷選手もたくさん食べられたといいます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e5c3f0db2d01e369267bad7e33f9bcf5832d820
食事の味付けや、好きなメニューを作るといったことではなく、「食事中の楽しい雰囲気」をホットプレートで演出されたんですね。
家族を大切に思うからこそ生まれた、素敵なアイディアだねっ!
エピソード⑤:年収億越えの大谷翔平から母:加代子に仕送り援助を申し出るが…
2023年7月末現在、超人的な活躍で米メジャーリーグで最大級の注目を浴びる大谷翔平選手。
その活躍に比例して、現在の推定収入もとんでもない年俸金額になっているようで…。
大谷選手は今年、その収入がメジャーリーグの一流選手と肩を並べるといわれており、彼の年間総収入はなんと85億円以上と推定されているんじゃよっ。今シーズンの年俸はおよそ40億円(3000万ドル)で、さらに17社の大手企業とのスポンサー契約もその収入を押し上げておるんじゃっ。
大手各社とのスポンサー契約も含めるととんでもない金額を稼ぐ大谷選手ですが、私生活では良い意味で倹約家として質素な一面をお持ちな事は、ファンの間でも有名ですね。
金銭感覚の面でも文句のつけ所がない大谷選手ですが、自身を育ててくれた両親に対して、感謝の思い・親孝行をしたいといった思いがあったのでしょう。
母:加代子さんの身体も気遣ってか、このような申し出を行ったことがあったそうです。
いつまで働くの?
あなたに、おんぶに抱っこというわけにはいかないでしょ?(照笑)
息子が活躍するようになったからといって、子供に飯を食わせてくれとは言いづらいよ(照笑)
両親を思っての愛息子からの気持ちは非常に嬉しかったと思いますが「親の立場として息子に甘えるわけにはいかない。」といった両親2人の思いも分かる気がしますね。
息子は息子、自分たちは自分たちなりにやっていけているんだから、それで充分ということなんでしょう。大谷選手のお金には、現在も“手出しゼロ”のままだそうです
https://www.moneypost.jp/1024674/2/
大谷選手が天文学的な金額を稼ぐようになった今でも、先ほどの言葉通り、両親の生活レベル変わらずに母:加代子さんは長年続けるパート勤めを現在も続けられているそうです。
これだけの金額を身内が稼げば、甘えたくなる気持ちが芽生えてもおかしくないけど、大金があっても変わらずの姿勢で息子を支えるご両親の姿は、称賛に値するよねっ!
【画像】大谷翔平の母親:加代子!大谷選手本人に「マザコン」だったか聞いてみた結果…
実際のところ大谷選手本人は、母親に対してどのような印象を抱いていたんだろうね?
小学校時代から既に、大谷選手は自己管理能力が高く「自立」していた
「子供の頃、甘えん坊でママ好きだったんですか?」という質問に対して、大谷選手は…
うーん、(マザコンの)自覚はないですけど、、(笑)
父が、自分の野球チームの監督だったので、当時は「お父さんと言うより、監督」という意識が強かったので、
そういった面も含めると、お母さんの方が好きだったのかもしれないですね。
マザコンな人は、母親を最優先にします。
大人になっても、何かを決断する時、何かに困った時などに母親の意見を真っ先に聞き、最優先にするのです。
つまり、マザコンな人は「自立」できない人のことを指します。母親思いの人は、母親を大事にしますが、自分のことは自分で決めます。また何かにつまづいたとしても、母親ではなくその都度、その状況に相談すべき人に相談します。
結論を言うと、マザコンの人は自立できておらず、母親に依存しきってしまっている人のことを指します。
https://mecan3.jp/14114/ より引用
「マザコンの定義」を見る限り、大谷選手は「マザコンではない」ですね。
大谷選手は、自分の信念を持って野球に取り組まれていることは、明らかですし、幼少期から自己管理の意識は非常に高かったことも明らかになっています。
リトルママ達も、大谷選手の「自己管理能力」の高さには、当時から関心されていたみたいだよっ!
小学生時代に、大谷選手達が所属されていた「水沢リトル」では、毎年、福島県での合宿練習が恒例行事だったようで、
子供の頃だと、日中の練習が終わって夜になると、テンションが上がって遊びたくなるのが普通の子供心ですよね(笑)
多くの子供達が、枕投げなどをして夜遅くに遊んでいる中、大谷選手はどんなに周りが騒がしくても、コンディションを崩さないようにと、必ず「21時」には就寝していたそうです。
小学生でこの意識が持てる子は、中々いないですし、自立してる証拠ですね。
もし、大谷選手がマザコンであれば、「お母さんが傍にいないと寝れないよぉー(泣)」とか、言いそうだしねっ。
ちなみに、一度寝ると朝まで絶対に起きなかったんだとか。(笑)
貴重な、最近の大谷選手の寝顔ショットです。(笑)
メジャーで活躍される現在も、毎日のルーティーンで必ずお昼寝されるそうですよ。
母:加代子さんに大谷選手の子供時代の印象を聞いてみた
母親の加代子さんにも、「大谷選手がどんな子供だったのか?」聞いてみたよ!
甘えん坊だったのは、やはり事実のようですね。(笑)
単なる甘えん坊ではなく、しっかり「男」としての強さも、当時から持ち合わせていたようですね。「負けん気の強さ」は、どんなスポーツをする上でも、大切ですよね。
また、「洞察力」も高かったようで、
翔平は、幼少期から、とにかくお兄ちゃん・お姉ちゃん含めて、「人」のことはよく見て観察していたと思います。これをしたら怒られるということは、まずしませんでしたね。
「周りの人の行動をしっかりと見る」というのは、末っ子によく見られる特徴でもあるようですね。
何かを始める前に、まず周囲をうかがうのは末っ子の特性だ。そうやって周りの人や状況を観察し、怒られるようなことはやらない。そして気を使わずに済む年上と遊ぶ機会も体力も持ち合わせていた。大谷の「大人びた」性格は、幼少時から育まれた。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/159441/3
本人も言ってましたけど、年上の子と遊ぶのが好きだったみたいです。児童センターで遊ぶときも、同級生より上の子と遊んでいる方が多かった。お兄ちゃん(龍太・27)の友達とも遊んでもらっていましたから。かわいがってもらえるし、同じように動けるし。気を使わずに思い切って遊べるというところがあったのかもしれません。年上の子の方も気を使ってくれてるんでしょうけど(笑)
自分よりも「年上の子と遊ぶ環境」が、普段から常にあったんですね。
そのことが結果的に、大谷選手の子供の時から「大人びて自立した状態」を作ったことは、間違いなさそうです。
- 年上の子の方が「出来る事」が多いのは当然。
- 年下の子供は、考えて真似をして、自分も出来るように努力する。
- 年上に優しく接して貰える事で、自分よりも「年下」に対して、思いやりの気持ちを持てる。
- 変に年齢を意識せずに、友達を増やすことが出来る。
- 結果として、コミュニケーション能力の向上に繋がる。
こういった環境に、大谷選手の「洞察力の高さ」がプラスして、誰もが尊敬に値する現在の大谷選手が出来上がったんですね。
ただ、「子供好き」と語る加代子さんとしては、末っ子の大谷選手はやはり可愛かったようで、こんな本音を漏らす場面も。
本当に子供思いの素敵なお母さんに育てられて、大谷選手は幸せ者だねっ!!
大谷加代子(翔平の両親/母親)は高身長でバドミントン選手! まとめ
- 元バドミントン選手。
- 小・中・高校・社会人とチームに所属。
- 実力は全国大会準優勝レベル。
- 大谷選手も母の影響でバドミントン経験あり。
- 身長:170cmと高身長。
- 大谷家5人の全員が日本人男性の平均身長より高い。
- 加代子の父(大谷選手の祖父)も高身長で、野球経験者(エース・4番の「二刀流」)。
- 大谷選手は、毎年6cm身長が伸び、中学3年間で計20cm背が伸びた。
- 大谷選手は子供の頃、加代子さんが大好きで甘えん坊だった。
- リトル時代のママ友の証言あり。
- 大谷選手の好きなタイプが、母:加代子の特徴と一致。
- 加代子さんのお弁当のおかずは「全部」大好き。
- 大谷選手は「マザコン」ではなく、自立した母親思いの好青年
綺麗なお母さんだねっ!
表情も柔和ですごく優しそう~!