Jリーグ屈指の快速を武器に、ゴールを量産するFW・前田大然選手。
得点のみならず、守備面においても献身的なプレッシングをかけるスタイルも特徴の一つですよね。
そんな攻守両面で貢献度の高い、前田選手ですが山梨学院高校時代に不祥事を起こし、謹慎処分を受けた過去をお持ちなんです。
苦悩の日々を過ごす中で彼が出した答えの一つが、現在の献身的プレーのルーツだったようなんです…。
- 前田選手が起こした不祥事に関して
- 1年間の謹慎中に、前田選手は何をやっていたのか
- 山梨学院高校時代の恩師・吉永監督との感動エピソード
上記の点を中心に、超詳しく・分かりやすく記事にまとめてみました。
目次
前田大然は謹慎で1年間部活禁止!山梨学院高校時代の不祥事について
前田選手は高校時代に、名門・山梨学院高校サッカー部に所属されておる。
当時1年生の時に起こした不祥事が、謹慎の原因のようじゃの。
そういえば前田大然の高校時代の謹慎って結局何やったんだろ。1年間謹慎って相当だけど退部退学じゃないし
— タンブラー (@happy35min_day) July 28, 2021
高校1年の冬に「チームの規律を乱す行為」が発覚し謹慎処分を受ける
FW前田大然(23)といえば、攻守に走り続ける献身的なプレースタイルが持ち味。備わったのは山梨学院高時代だ。2010年の全国高校選手権優勝に憧れて13年に入学したが、1年生の冬頃、チームの輪を乱しかねない行動を取ったことにより謹慎処分を受けた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/62ba303975d3f3970ff153282d1b52400ce72d5f
当時、高校1年生だった前田選手は、かなり「ヤンチャ」だったようで、、、
高1の時に悪さをして、高2の時、丸々1年サッカーをやっていなくて、やめようかなというくらい、いろいろあった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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故郷の大阪を離れて、山梨屈指の強豪校である山梨学院高校サッカー部に入部したのが2013年の春でした。
入学当初から、チームの主力組にも食い込める実力があったらしく、期待する関係者も多かったと言います。
そんな矢先、年が明けた2014年冬頃に、同校サッカー部員の複数名が「チームの規律を乱す行為」をしたことが発覚したんじゃ。
そのうちの1人が「前田大然選手」だったんだね…。
前田選手の高校時代の不祥事「謹慎処分⇒復帰」までの流れ
不祥事の前後の流れを簡単にまとめました。
- 2013年春(高1):山梨学院高校入学・サッカー部入部。
- 2014年冬(高1):チームの規律を乱す行為が発覚
- 山梨学院高校を停学処分
- 部活参加禁止(1年間)
- 2015年春(高3):山梨学院高校サッカー部に復帰
「チームの規律を乱す行為」って、具体的には何をしたのかな?
部活に参加出来なかった1年間は、何をしてたのかも気になるね…。
確かにそのあたりが気になる部分じゃの。
次項から、順番に解説していこうかの。
前田大然の謹慎は同級生へのいじめが原因!過度ないじりがエスカレート!
前田選手が高校1年時に起こした「 チームの規律を乱す行為 」とは何だったのか?
謹慎処分前の前田選手の様子を、高校時代の恩師が語ってくれています。
同級生に対する過度な「いじり」が「いじめ」にエスカレート。
この方は、前田大然選手の高校時代の恩師・吉永一朗監督。
高校時代は「悪さもしてました」と前田。チームの約束事を違反するなど規律を乱し、2年時には吉永監督から部活参加を禁止されたこともあった。
https://www.nikkansports.com/soccer/japan/asiangames2018/news/201808240000047.html
この前田選手への部活参加禁止処分は、吉永監督が決断されました。
大然が1年生の1月か2月に規律を守れないようなことがありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/
横柄な態度が同級生の中で見られたんですね。
それは絶対に許されないと思い、除籍を決断しました。
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「横柄な態度が同級生の中で見られた…。」
この「横柄な態度」を具体的に表した内容がこちら。
↓↓↓↓↓↓↓↓
大阪府出身の前田選手は小学6年の冬、全国高校選手権で初出場初優勝を飾った山梨学院大付高(現山梨学院高)を見て憧れ、同校に進んだ。だが、寮生活を送っていた1年の冬、同級生の間で「いじり」「いじられ」がエスカレートする。サッカー部内に不協和音が生じ、中心人物の一人だった前田選手は部から除籍された。
https://mainichi.jp/articles/20210803/dde/041/050/034000c
同級生に対する「いじり」が「いじめ」に発展。
⇒いじる側の中心だった前田選手が謹慎処分
いじる側は、いじめてる意識は無くても、
いじられている側が「どう感じるか」が重要だよね…。
チーム内に亀裂が生じてしまう程の「いじり」は、「いじめ」と捉えられて当然じゃ。
ましてや「いじる・いじられる」は、お互いの信頼関係があってこそ、冗談っぽいやり取りになるんじゃ。
山梨学院高校は全国大会優勝経験もある強豪校。
他のライバル校からみても、プレー面はもちろん人間性の面でも、模範となる存在でなければいけませんね。
吉永は台頭する前田の除籍を相当に悩んだ。それでも、サッカー選手である以前にひとりの人として考え、苦渋の決断を下した。大阪の実家にも足を運び、「このままでは置いておけません。転校も含めて考えていただきたい」と両親に伝えたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5575b44a329bd4994da8e2909465aaa679a39037
この吉永監督のわざわざ大阪まで足を運んだ行動を見てもしかり、「転校も考慮すべき」とまで思わせた点をみても、前田選手の態度は相当悪かったことが予想されます。
前田選手の謹慎前の態度は「ヤンチャ」では済まされない程のモノだった可能性が高そうだね…。
前田大然が入学直後にも山梨学院高校サッカー部で不祥事があった
前田大然選手の不祥事以外にも、何か事件があったの?!
前田選手は無関係じゃが、入学して早々に上級生の間でトラブルがあったようじゃの。
山梨学院大付属高校(甲府市)サッカー部の3年生の男子部員7人が、2年生の男子部員1人に暴行を加え、全治10日のけがを負わせていたことが8日、同校への取材で分かった。同校の望月教邦副校長は取材に対し「あってはならないこと。監督や顧問にしっかりとした指導を徹底させたい」と釈明した。
デイリー より引用
この時の不祥事の内容をまとめると、
- 日時:2013年4月21日夜
- 場所:サッカー部寮内の風呂場
- 3年生部員7人による集団暴行
- 2年生部員1人に対しての暴力行為
- 約50度のシャワーをかけた
- 暴行した7人は同校の聞き取りの末、自宅謹慎処分
- 聞き取りに対して「ふざけているつもりだった」と話した
- 2年生は左肩に打撲などのケガを負った(全治10日)
一貫校の山梨学院大学サッカー部でも不祥事があった
学校法人山梨学院は、1946年、古屋眞一により私立学校山梨学院として創設され、山梨県甲府市桜町(現・同市中央)に創立された山梨実践女子高等学院(後の山梨女子高等学院)が起源である。1948年には男女共学に伴い山梨女子高等学院を山梨高等学院と改称し、現在地に移転、また、私立学校山梨学院は財団法人山梨学院に組織変更した。1951年、私立学校法の施行により法人組織を財団法人から学校法人に変更し、山梨高等学院を母体に山梨学院短期大学(栄養科〈現・食物栄養科〉設置)を開学した。1953年には短期大学に法経科を増設し、これを1962年に改組して山梨学院大学(法学部法学科設置)を開学した。現在は幼稚園、小学校、中学校、高等学校、短期大学、大学、大学院を設置し学校体系一貫を完成させている。
Wikipedia より引用
山梨学院は、幼稚園から大学まで一貫校のシステムで運営しておるんじゃ。
この山梨学院大学サッカー部でも、過去に不祥事があったようじゃの。
名門・山梨学院大学のサッカー部で、警察沙汰になってもおかしくない不祥事が発覚した。〝事件〟が起きたのは5月24日の練習中。部員の一人は「練習中にいきなり3年生が2年生を蹴りまくって、顔中が血だらけになっていた。前歯が全部欠けて、あごの骨が3か所折れていたらしく、コーチが病院に連れて行ったのですが『誰にも言うな。ツイッターやブログにも書くなよ』と口止めされた」と証言する。
東スポweb より引用
なぜこのような激しい暴行事件に発展してしまったのか、明確な理由は不明ですが、山梨学院大学のあるサッカー部員によると、
練習中だとラフプレーと暴行の見分けがつかないので、転んだ時に顔面を思い切り蹴ったりする暴行が前からあった。それで何人も辞めているし、寮に荷物を残したまま去った選手もいる。。
https://www.tokyo-sports.co.jp/social/incident/14083/
どんな理由があれど、決して許される行為ではないです。
この不祥事が発覚したのは、2012年5月になりますが、これ以降表立った不祥事は起こってないようです。
前田大然は謹慎中に何をやってたのか?社会人チームで得た献身的プレー
部活参加禁止だった1年間は、前田選手は何をしていたんだろうね?
しっかりと自身を見つめ直す良い機会になったようじゃ。
周囲の環境にも恵まれたようじゃの。
高校2年の1年間の部活参加禁止期間中に前田選手が行っていたことまとめ
高校1年の冬に起こした不祥事により、高校2年生の丸一年間、同校のサッカー部に参加出来ない状態となってしまった前田選手。
自分が高1の時に悪さをして、高2で丸々1年サッカーをやっていなくて、サッカーを辞めようかなと考えるぐらい色々ありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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やはり謹慎期間中は、本人的にも、色々ともがき苦しんだようですね。
1年間の謹慎期間中に、当時の前田選手が取り組んだ内容をまとめてみました。
- 自主トレ(学校の周りをランニング、走り込み等)
- 社会人クラブの練習に週2回程参加
- 早朝に登校し校内の清掃活動
- 学業面でも落ち着いて真面目に授業に取り組む
- 謹慎中にサッカー部は全国大会出場を果たす
- 前田選手は一般生徒に交じってスタンドから懸命に声援を送った。
しっかりと反省して真面目な日々を送っていたんだねっ!
本人的にはサッカーを辞めようと思うぐらい辛い事もあったようじゃが、結果的に一年間腐らずに、行動し続けたコトが大きな成長に繋がったようじゃの。
前田選手自身が努力し続けた結果なのは間違いないのと、謹慎期間中に関わった人々との出会い・サポートが大きかった面もあるようです。
サッカーは好きでしたし、それが一番にありますけど、家族の後押しや社会人のチームでも可愛がってもらえたので、そういった人の気持ちも背負ってサッカーをしないといけないと感じたので、辞めなかったのかなと思います
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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社会人チームで学んだこと。「人の為に何かをしないといけない」
吉永監督は、謹慎期間中の前田選手をずっと気にかけてくれていたみたいだよっ。素敵な指導者だね。。
転校の選択肢もあった中で学校に残った前田に対し、直接声をかけることは控えた。
ただ、担任や他の教員からはこまめに報告を受けていた。すると「早朝に登校して校内を清掃している」「クラスの中で落ち着いて授業に取り組んでいる」。徐々にポジティブな変化が耳に入った。
https://digital.asahi.com/articles/ASP7G4SY4P78UTQP00H.html?iref=pc_photo_gallery_breadcrumb
前田選手の、謹慎期間中の真摯な態度を耳にして、「社会人チームでのサッカー」というチャンスを与えます。
大然がだいぶ変わってきたタイミングで、サッカー部に戻る準備じゃないですけど、社会人チームで週に何回かボールを蹴る機会を与えました。これもいろんな関係者が動いてくれましたね
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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吉永監督が、前田選手に「社会人チーム」と言う環境を与えたのは、サッカーの技術的な面ではなく、「社会人という大人と接することで人間性を高める」のが狙いだったそうです。
そして吉永監督の狙い通り、「社会人チーム」での経験は、当時の前田選手にとって最高の環境だったようです。
社会人チームに入らせてもらったんですけど、そこでみんなに支えてもらって、『人のために何かをしないといけない』という考えに変わった。それまでの自分は、ただ走ってゴールを取ってる感じでしたけど、チームのために走ることをすごく学んだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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社会人チームで巡り合えた方々が良かった点も大きいですが、前田選手が素直に吸収し良い方向に考えが変わった点も評価できるんじゃないでしょうか。
母親も息子・前田大然の成長を肌で感じ、帰りの高速バス車内で号泣
1年間の謹慎期間中は、前田選手のご家族の支えもあったみたいだよっ!
1年生の冬頃、チームの輪を乱しかねない行動を取ったことにより謹慎処分を受けた。
寮を出て、1年間部活動には参加できず。人生の大きな転機を「苦しいことだらけだった」と振り返るが、前に進めたのは、家族を始め周囲のサポートがあったからだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/62ba303975d3f3970ff153282d1b52400ce72d5f
謹慎処分前は、故郷の大阪から山梨へやって来ていた前田選手は、同校の寮で生活していました。
しかし処分後は、案の定、寮生活が出来なくなった為、前田選手の母親:幸枝さんが同校の近くにワンルームの部屋を借りてくれたそうです。
僕の目標は変わってない。山梨学院で優勝したい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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不祥事を起こした息子に大阪に帰って来いとは言わず、山梨に残ってサッカーを続けさせようと幸枝さんが思ったのは、前田選手のこの一言がきっかけだったようです。
幸枝さんは、野菜中心に食料を届けたり、栄養価の高い食事を作る為に、毎週大阪から山梨まで電車と高速バスで通ったそうだよ。
めちゃくちゃ良いお母さんだねっ~!!
中々そこまで出来るお母さんはいないと思うよ。
前田選手に謹慎処分が下って、しばらくそのような生活が続いたある日のこと。
母:幸枝さんが前田大然選手の成長を感じるエピソードがあったそうで。
部活を離れてしばらくのこと。幸枝さんが大阪に帰る時、自転車を押しながら息子が言った。「母ちゃん、電車間に合わへんから後ろ乗って。荷物運ぶから早く早く」。息子の成長を感じ取った瞬間だった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/62ba303975d3f3970ff153282d1b52400ce72d5f
当時の様子を、幸枝さんは鮮明に覚えていらっしゃるようで、このように語られています。
スーツケースを前のかごに無理やり入れて、自転車の後ろに私を乗せながら必死に駅まで送ってくれました。『大然、こんなことできるようになったんや』って涙が出るくらいうれしくて。その時はこらえて、帰りの高速バスでぶわーって泣いて帰った思い出があります。大然なら目標に向かって頑張れる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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「自分の事だけ」考えるのはなく「周囲への思いやりの気持ち」を抱けるようになった息子を見たときの感動は、母:幸枝さんにとってはものすごく大切な出来事になったのは間違いないですね。
一人でサッカーはできないし、生活もできない。たくさんの支えがあるからこそプレーできていると感じた。親にも迷惑かけたので、恩返しをしたい
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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前田選手の現在のプレースタイルの一つである「チームへの献身性」は、高校時代の不祥事をバネに培われた面も大きいようですね。
前田大然と山梨学院高校の恩師・吉永監督のエピソード。復帰後の変化。
最後に、前田選手と恩師・吉永監督にフォーカスした、エピソードをご紹介致します。
チームのために走る。サッカー東京オリンピック(五輪)代表FW前田大然(23)=横浜F・マリノス=の持ち味は献身的なプレーだ。その原点は山梨学院高時代にある。謹慎処分からプロ入りへ――。当時の恩師で現在アルビレックス新潟シンガポール・テクニカルダイレクターの吉永一明さん(53)が激動の日々について語った。
朝日新聞デジタル より引用
前田選手とって「吉永監督」は特別な存在みたいだよっ!
2人に関するエピソードをみていこう。
吉永監督が山梨学院高校へ前田選手を導いたからこそ悔やんだ「謹慎事件」
山梨学院高校は、2010年の全国高校サッカー選手権で優勝し、全国制覇を果たしています。
当時、まだ小学校6年生で大阪に住んでいた前田選手は、中学時代から、そんな同校に憧れて入学を希望していたそうです。
吉永さんが初めて前田に会ったのは2012年夏。監督として率いていた山梨学院高が大阪に遠征した時だった。
当時大阪に住んでいた中3の前田が2年前の全国選手権優勝を見て入学を希望していると聞き、練習に参加させたのだ。目を引いたのは抜群のスピード。「面白い選手になる」。そう直感し、入学が決まった。
朝日新聞デジタル より引用
吉永監督と前田選手の出会った場所は、山梨ではなく大阪だったんだっ!
しかも、吉永監督、自ら練習に参加させるなんて、当時から前田選手は一目置かれる存在だったんだね!
そうじゃの。
期待が大きかったからこそ、前田選手の「謹慎処分」には、吉永監督自身も悔いておるようじゃの。。
1年の時から主力組に食い込んだ前田に期待を寄せていた。「問題」が起きたのは年が明けた頃だった。数人の部員がチームの規律を乱す行為をしたことがわかったのだ。その一人が、前田だった。
吉永さんは事態を重く受け止めた。他の職員とも話し合い、前田には部活参加禁止の処分を下した。
朝日新聞デジタル より引用
問題を未然に防げなかったのは自分の責任。
https://digital.asahi.com/articles/
彼が再びサッカーに戻ってこられるかどうかは本当に賭けだったが、まずは悪いことをしたと受け止め、成長してくれることの方が大事だった
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前田選手が以前から、同校の入学を希望していたとはいえ、吉永監督自身が前田選手を山梨学院高校へ連れてきた経緯もあった手前、より強く責任を感じたのかもしれませんね。
それに、前田選手が故郷の大阪を離れて、山梨までやって来た理由は、言わずもがな、「サッカーが全て」。
高校生活3年間の内の「丸1年間」練習に参加出来ないとなると、前田選手が練習環境を求めて他校に転校してしまう可能性もあったじゃろうな。
吉永監督が、「前田選手が再び、サッカー部に戻ってこられるか賭けだった。」とおっしゃる気持ちも分かるよね…。
しかし、前田選手は、先程ご紹介させて頂きました通り、謹慎期間中も周囲の環境に恵まれ面もあり、人間性の面でも大きく成長を遂げられ、見事にサッカー部に復帰を果たされましたね。
献身的プレーで仲間の信頼を掴む。そしてプリンスリーグ得点王に輝いた。
前田選手が高校3年になった時、1年間という謹慎期間中の真面目に取り組む姿勢が認められて、山梨学院高校サッカー部へ復帰を果たします。
部活への復帰を果たした後も、サッカーに対する姿勢は、以前とは別人のように良い方向に変わったみたいだよ!
あのころ(謹慎前)は自分のことしか考えてなくて、自分さえよければいいや、という考えで。それで、サッカー部から離れている間に、自分の考えが変わったというか、これじゃあダメだって。
https://sportiva.shueisha.co.jp
/clm/football/jfootball/2018
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そんな自己中心的だった前田選手が、復帰後に見せた変化がこちら。
- 1年間のブランクを埋めるために毎日居残りでシュート練習。
- プレースタイルも変貌を遂げた
- 自己中心的なプレーはしない
- 相手にボールが渡れば、ダッシュでプレスをかける。
自己犠牲を厭わない、献身的なスタイルはこの時に築かれたんだねっ!
前田選手の献身的なプレーはチームメイトにも伝わって、皆からの信頼も得られたそうよ!
チームメイトからの信頼が増すにつれて、FWの前田選手に「ボールが集まる」ようになったそうです。
そして、3年生の時にプリンスリーグ関東で、前田選手は得点王に輝きます。
もっと周りのことも考えないといけないし、みんながいるから自分がいる、っていうことをすごく感じた。あの1年があったからプロになれたと僕は思っているので、本当に大きなターニングポイントでした。今、献身的に守備をしているのも、あのときに学んだからだと思います、
https://sportiva.shueisha.co.jp
/clm/football/jfootball/2018
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前田大然を「プロへの道」に導いてくれたのも吉永監督だった!
サッカー部復帰後の前田選手の活躍は、吉永監督をも唸らせるものがありました。
あふれんばかりのエネルギーをサッカーに捧げてほしい。
https://digital.asahi.com/articles/
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サッカー部へ復帰した時点では、前田選手は高校卒業後の進路として「大学」を考えておられたそうですが、
その才能を入学前から見抜き、人間性の面でも大きく成長した前田選手だったからこそ、恩師である吉永監督は、プロへの背中を押したそうです。
吉永さんにはすごく感謝していて、3年になって戻ってきたとき、すぐに試合に使ってくれた。
https://sportiva.shueisha.co.jp
「サッカーがうまいだけじゃダメだ」と教えてくれたり、
「お前はプロになれるから」
「大学よりもプロに行け」って、ずっと声をかけてくれたんです。
/clm/football/jfootball/2018
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その当時、前田選手自身の成長は著しいものがあったようですが、山梨学院サッカー部というチーム単位での成績は結果を出すことが出来なかったようで、前田選手がプロスカウト陣へアピールする場は、ほとんどなかったようです。
しかし、前田選手の為に、吉永監督がここでも一肌脱ぎます。
選手権もインターハイも予選で負けてしまってアピールできなかったけど、吉永さんがスカウトの方を呼んでくれたりもした。
https://sportiva.shueisha.co.jp
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吉永監督の前田選手を「プロの世界へ送り出してやりたい」という気持ちは相当強かったようで、その他にも、スカウト陣に直接連絡を取って、前田選手を売り込んでくれたそうです。
吉永監督は、前田選手の為に、自身のJリーグ関係者のコネクションを最大限に使って、片っ端から電話をかけたみたいだよ。
その中で、前田選手に興味を示してくれたのが、松本山雅FCだったのねっ!
そして、2015年12月。
前田選手の松本山雅FCへの加入が正式に決まります。
ここでポルトガルへ移籍することになった前田大然の山梨学院高校時代の松本山雅FC入団会見の様子を載せておきますね。
— スイ (@gjY97nq9FqZGxeH) July 21, 2019
東京オリンピックでも、その後も日本代表として活躍してほしいです!! pic.twitter.com/k6WAw2LSVV
↑山梨学院高校から、Jリーグ「松本山雅FC」への前田選手の加入会見の様子です。
吉永監督が自分の為に必死になって動いてくれたことは、前田選手ももちろん感じ取っているようで、良好な関係は今でも続いています。
吉永監督のためにもプロに行かないといけないっていう想いがあったので、山雅に決まってよかったです。今もちょくちょく連絡しています。吉永さんはいつも気にかけてくれるので。
https://sportiva.shueisha.co.jp
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前田選手から吉永監督へ感謝の気持ちを表した「ブルーペナント」
2021年3月に、前田選手から吉永監督の元へ、とある贈り物が届いたそうです。
その贈り物とは、「ブルーペナント」。
ブルーペナントとは?
日本サッカー協会の小野剛技術委員長は5日、日本代表選手を育てた指導者に記念品として「ブルーペナント」を贈る考えを明かした。資格は2008年以降の国際Aマッチに登録された選手の恩師で、各選手の小中学校時代の監督なども対象となる。
スポニチ より引用
日本代表に選ばれたサッカー選手が、これまで自分を育ててくれた恩師に対しての感謝を形で表すことができるのが「ブルーペナント」なんだねっ!
貰った指導者の方も凄く嬉しいだろうなあ。
前田選手は、2019年・コパアメリカのチリ戦で、A代表デビューを果たされています。
↓こちらが、前田選手から、恩師・吉永監督へ贈られた実際のブルーペナントになります。
右側のメッセージ部分を拡大してみると…
非常に熱い直筆メッセージです。
短い文章に込められた前田選手の感謝の気持ちが伝わってきますね。
指導者をやっている中で、これほどうれしいものはない。
https://digital.asahi.com/articles/
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また吉永監督自身も、前田選手から学ばされたことがあるようです。
高校での話を美談にはできないが、彼から教えられたことがある。人は変われるということ。そして自分の未来は自分でしか変えられないということ。彼との出会いを僕はありがたく思っている
https://digital.asahi.com/articles/
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思わぬ不祥事があったな中でも、「選手と監督」のそれぞれの立場で、どんな時でもお互いが真剣に向き合ってきたからこそ、このような深い関係が築けたんだと思います。
前田選手には、色々な思いを背負って引き続き、サッカー選手として頑張って頂きたいですねっ!
吉永監督も前田選手の活躍を切に願っていると感じました。
前田大然の謹慎は同級生へのいじめが原因! まとめ
- 前田選手の謹慎理由は「いじめ」
- 同級生に対する「いじり」がエスカレートし、チームに不協和音が生まれた
- 山梨学院高校を停学処分
- 部活参加禁止(1年間)
- 部活参加禁止(1年間)でやっていたこと
- 自主トレ(学校の周りをランニング、走り込み等)
- 社会人クラブの練習に週2回程参加
- 早朝に登校し校内の清掃活動
- 学業面でも落ち着いて真面目に授業に取り組む
- サッカー部の応援
- 3年生になりサッカー部に復帰
- 「チームの為に走る」献身的スタイルでチームに大いに貢献
- 恩師・吉永監督とは今でも固い絆で結ばれている
- 前田選手をプロに導いたのは吉永監督
前田大然選手はいつ謹慎処分になるような不祥事を起こしたの?