Jリーグ王者・川崎フロンターレを牽引した、日本屈指のドリブラー「三笘薫」選手。
ヨーロッパの地でも、その輝きは更に増すばかりですね。
三笘薫選手は、高校卒業後の進路として、プロではなく「大学サッカー」を選択し、大学経由でフロンターレに入団されました。
- プロではなく、なぜ「大学進学」を選択したのか?
- 「筑波大学蹴球部」に決めた理由
- 恩師「小井土監督」との出会い
- 「日本一の体育大学」筑波大学の特徴
- 三笘選手の筑波大学での成績・エピソード
本記事では、上記の点を中心に「三笘薫選手の大学時代」に関して、分かりやすく・超詳しくまとめてみました。
目次
三笘薫はなぜプロでなく「筑波大学進学」を選択したのか?
- 川崎フロンターレU-10
- 川崎フロンターレU-12
- 川崎フロンターレU-13
- 川崎フロンターレU-15
- 川崎フロンターレU-18
各年代のユースチームのセレクションをクリアし、一歩ずつプロへの階段を駆け上がってきた三笘選手。
ユース時代の三笘選手をよく知る、川崎フロンターレの関係者も、学生時代の三笘選手の事を高く評価されていました。
↑三笘選手の高校時代に関しては、こちらの記事で詳しく解説しております。
トップチーム昇格を断り、進路として「筑波大学」進学を選択
ジュニアのときから飛び抜けている存在で、その学年でもかなり高いものでした。
https://number.bunshun.jp/articles/-/830894?page=3
ジュニアユースで少し苦しんだ時期もありましたが、ユースに上がってから再び頭角を現した。独特の感覚を持ったドリブルは他の選手にないものがありましたし、こういう選手だったらトップに上げないと、という話をしていた。
こう語るのは、川崎フロンターレの強化部スカウト担当・向島建(むこうじまたつむ)さんです。
当時のユース同世代の中でも、群を抜いた存在だった「三笘薫」選手に、プロへの道を手引きするのは、ユースチームとして当然の判断ですね。
ユース関係者からも高評価だったのに、なぜ三笘選手は「大学進学を選択」されたのかなあ?
事実、プロへの切符、所謂「トップチーム昇格」は、向島さん含めた当時のユースチーム関係者から、三笘選手本人と、そのご両親が集った面談にて、伝えられていたそうです。
ただその際に、三笘選手が出した決断は、関係者を驚かす返答でした。
筑波大に行って、大学サッカーの4年間でもう一度自分を鍛え直したい
https://number.bunshun.jp/articles/-/830894?page=3
向島さんや、ユース監督は内心非常に驚いたようでしたが、三笘選手の「迷いのない表情」を見て、本人の決断を尊重しようと思ったそうです。
三笘選手が、色々と葛藤・熟慮した上で出した答えだったことが、その場にいた関係者には、その表情だけで伝わったんだろうねっ!
自身を客観視してロングスパンで考えた最良の選択が「大学進学」
三笘選手が、「大学進学」を選択した理由をまとめてみました。
- プロでやっていく決定的な「自信」が自分の中で足りてなかった。
- 大学で4年間勉強が出来ることで、サッカーと自分自身を客観視できる。
- 長期的な視野・ビジョンで、サッカーと自分を見つめることが、より人生に影響を持つと思った。
周囲への高評価とは裏腹に、当時の三笘選手は、自分自身に対して「絶対的な自信」があったわけではなかったようですね。
そのような思いが生まれたのは、身近なチームメイトの存在があったようなんだ…。
三笘選手の1つ上の学年には、三好康児選手と板倉滉選手がおり、
三笘選手が、自身と彼ら2人を相対的に評価した時に、
「このままプロに行っても通用しない。。。」と感じたそうで。
ちなみに、三好選手と板倉選手は、2015年に2人揃って「川崎フロンターレトップチームに昇格」を果たしています。
考え方によっては、この三笘選手の決断は、「プロから逃げている」と捉えられても仕方ないのかもしれません。
ただ、三笘選手としては、あくまで「ロングスパンな視点」を持って出した選択ということを、忘れてはいけませんね。
プロになると、目の前の1試合、1試合に懸ける想いを凄く求められます。ただ僕は、あくまで長期的なビジョンでも自分やサッカーを見つめたかったんです。
https://number.bunshun.jp/articles/-/830894?page=3
一見、遠回りに見える選択でも、
- そこでしか得られない経験もたくさんある
- 取り組む本人自身の捉え方
によって、成長のスピードはかなり変わってきますよね。
あの「野球界のレジェンド・イチロー選手」もこんな言葉を残されています。
↓ ↓ ↓ ↓
無駄なことって結局無駄じゃないって考え方が凄い好きで。
「遠回り」するってことが一番の近道。
やはり、圧倒的な成果を出される方の発言は、言葉の重みが違いますね。
三笘選手も、プロ1年目でJリーグベストイレブンに選出されるほどの、インパクトのある活躍が出来たのは、「遠回りに見えた筑波大学での4年間があってこそ出せた結果」なのかもしれませんね。
三笘薫が筑波大学サッカー部・蹴球部を選んだ理由。小井土監督との出会い
なぜ数ある大学の中でなぜ、三笘選手は「筑波大学」を選んだんだろう?
筑波大学を選んだことにも、三笘選手には明確な理由があったんじゃよっ。
筑波大学蹴球部の試合観戦後、自ら志願しチーム練習に即参加
三笘選手は、記事冒頭で記載した「トップチーム昇格を告げられた面談」の少し前のタイミング、高3の春頃に、筑波大学蹴球部(サッカー部)の練習に自ら志願して参加されていました。
その背景には、関東大学リーグにて筑波大学の試合を観戦したのがきっかけだそう。
三笘選手が自ら、志願された背景には「関東大学リーグにて筑波大学の試合を観戦」したのがきっかけにあったんだって。
その際に、筑波大学のサッカーを観て、三笘選手が思ったことを簡潔にまとめたものがこちら。
- パス主体のチーム戦術
- 選手個々のスキルを大切にする姿勢
- レギュラーの大半が1,2年生
「今は2部リーグだけど、絶対にこれからもっと強くなるチームだな。」と感じました。
三笘選手のサッカー観にマッチする部分が多数あり、実力さえあれば、学年関係なくレギュラーとして試合に出場できる環境が、魅力に感じたのでしょうね。
そして、三笘選手は試合観戦後に、すぐさま、フロンターレを通して筑波大学サッカー部の練習に参加されたそうです。
- 三笘選手が思った通りの、練習のレベル・質ともに高水準。
- 練習グラウンドの環境も万全。
- 学業の面でもサッカーを客観的に分析して、新たに吸収できるものがあると感じた。
高校卒業後の進路は「筑波大学しかない…。」と、練習参加後に心の中で強く思ったそうです。
筑波大学の監督も三苫薫を高く評価していた。
↑こちらの写真は、筑波大学・蹴球部の小井土正亮監督です。
三笘選手が筑波大学の練習参加後に、小井土監督から川崎フロンターレU-18へ連絡があったそうで、その当時から、三笘選手の事を非常に高く評価されていたそうです。
まさに、三笘選手と筑波大学蹴球部は、両想いの「相思相愛」だったんだねっ!
また、三笘選手のプロ1年目の活躍に関して、小井土監督にコメントが求められた際にも、当時から三笘選手がずば抜けており、且つ、まだ発展途上で伸びしろがあったことがわかります。
三笘の活躍について、筑波大時代に4年間指導に当たった小井土監督は「点を取るところ以外はそれほど驚きではなかった」と話す。大学入学時点で三笘の才能は図抜けていたといい、他の選手と比べてタレントの質では一枚も二枚も違うと見せつけていた。小井土監督は、当時の三笘をこう振り返る。
https://www.football-zone.net/archives/300288
「周りより多少上手いだけで、サッカーに対していい加減に取り組むという感じはまったくなく、まだ成熟していないというか、トップのコンペティションでやれるだけの経験が足りなかっただけなので、勝ったり負けたりしながら、時には厳しいことも言われたりしながら、成長していったなと感じますね」
三笘選手が、その天性の才能に奢ることなく、地道な努力でここまできたことが、小井土監督といった身近な関係者の証言から、より深く伝わってきますね。
また小井土監督によると、三笘選手はサッカー以外の面でも、注目すべき特徴があったと語られています。
その特徴というのが、
「実行する力」
大学進学を決めた理由をみても、何となく分かりますが、三笘選手は自分自身を客観視して考える・分析する力が備わっていますよね。
常に、冷静に自分を分析して、具体的な改善策を出せることが、この小井土監督がおっしゃる「実行する力」に繋がっているのだと感じました。
「自分は絶対にこうなるっていう信じる力に関して言うと、岡崎選手は本当に素晴らしいなって思うし、三笘も『こいつはどうなっていくかな』って外から見ている分には思っていましたけど、気づいたら自分なりの一番良い形で成長していったので、描いていたと思うんですよね、『こうなりたい』っていう姿を。そこに向かって着実に成長したという意味では、共通しているところかもしれません」
小井土監督は、2005年~2011年までの6年間、J1・清水エスパルスのアシスタントコーチを務めていた経歴もお持ちで、その当時に、岡崎慎司選手(現 スペインのカルタヘナ)も指導されています。
岡崎選手と三笘選手の2人を指導してきた、小井土監督だからこそ、
「なりたい自分をイメージし、それに向かって実行する力」といった、成功する選手の特徴を捉えていたのでしょうね。
三笘薫の筑波大学の特徴!学群(学部)制度がサッカー部の強さの秘訣だった!
三笘選手が進学を決めた「筑波大学」の特徴をまとめてみました。
筑波大学の特徴まとめ:とにかく敷地がデカい!
- 所在地:茨城県つくば市天王台一丁目1番地1(本部 筑波キャンパス)
- 大学設置:1973年
- その他情報
- 国立大学
- キャンパスは大きく2つ。(筑波キャンパス、東京キャンパス)
- 筑波キャンパスの広さは全国2位。
- 「学群・学類」制度を採用(学群:9つ、学類:23個)
筑波大学の特徴は、何と言っても「とにかくでかい」んです。
敷地面積は、2,577,286㎡にもなり、
東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせた大きさが約1,000,000㎡なので、
ランドとシー、各2つ合わせた面積よりも大きいと言えば想像しやすいでしょうか?(笑)
デカッ!!!!!
学内を移動するにも、大変そうだねっ!(笑)
しかもこれ、本部の筑波キャンパス単体の大きさです。
- 入学当初は、大学内で迷子になる学生さんも。
- 授業と授業の間隔15分しかない為、次の校舎への移動が間に合わない時は、
大学内を自転車で移動。
いやっ~、広すぎるのも不便なんですね。(笑)
学内の移動は主に自転車、徒歩、バスの3種類です。
1、2年生の時は総合科目や体育、英語などの授業で
普段は使わない施設に行く機会が多いです。筑波大学の授業と授業の間の休憩は15分ですが、
【学外・学内の移動方法紹介】筑波大生が利用する公共交通機関情報まとめ より引用
施設によっては、徒歩で間に合わない可能性があります。
敷地があまりにでかいので、専用バスが20分毎に、筑波大学構内を循環しています。(笑)
ちなみに、専用バスは有料で、最長区間で片道270円じゃが、年間8400円で定期を購入することも可能なんじゃよっ。
より広い範囲を学べて選択自由度の高い「学群・学類」制度を採用
続いては、筑波大学の「珍しく特徴的な」学部制度に関して。
筑波大学の学部は9つあり、学科は全部合わせて23個も存在します。
実は、筑波大学は「学部・学科」制度ではなく、より広い範囲を学ぶ「学群・学類」制度になっているので、正確には9学群(うち専門学群2つ)と23学類を持つ総合大学ということになります。
https://juken-mikata.net/topics/itf.html
確かに、大学と言えば「学部・学科」制度を採用している学校がほとんどだよねっ。
調べましたが、国立大学で「学群・学類」制を採用しているのは、筑波大学と福島大学の2校のみで、私立だと8校ほど、あるようです。
「学部」と異なり「学群」の意味合いは、より広範囲の学問を研究・学習するということですが、この制度のメリットは、
「学びたい科目」の選択の幅を、後からでも広げられる点です。
例えば、入学当初は経営学を専攻していたとしても、他の科目も学んだ結果、政治学を主専攻に変えたいとなった場合でも、受験なしで変えられるということなんだ!
ほとんどの「学部」制度の大学でも、入学後に学部を変更することは可能ですが、試験や面接の受験が必要になりますもんね。
筑波大学は、「主専攻・授業」選択の自由度が高いということですね。
三笘薫の学部・専攻は「体育専門学群」
三笘選手は、筑波大学において「体育専門学群」に所属されておりました。
(通称は「体専」(たいせん)と呼ばれているそう)
体育専門学群について、筑波大学のホームページにはこのように記載されています。
体育専門学群では,体育・スポーツ・健康に関する最新の科学的研究成果を活かしながら,指導者の養成を目指しています。指導者には優れた運動能力と幅広い運動経験を持ち,かつ保健体育に関する総合的知識を備えた,指導力と活力に富む豊かな人間性が求められます。
https://www.tsukuba.ac.jp/education/organization-ug-list-0180/
そのため,本学群の教育課程では,学生が各種運動の実技と方法論を基礎にしながら,39ある卒業研究領域の中から特徴的に配列された教育課程を選ぶことができるようになっています。さらには,大学院との関連も考慮し,その運用には格別の配慮が払われています。
その名の通り、体育・スポーツ・健康に関することを学ぶ学群のようだねっ!
国立大学で体育を専門に学べる学群は、全国をみても貴重なんです。
↑この写真は、筑波大学内にある銅像で、
「柔道の父」や「日本の体育の父」と呼ばれた、嘉納治五郎(かのう じごろう)先生です。
筑波大学の前身である「東京高等師範学校附属中学校」の校長を務められた方で、日本の体育教育の発展に非常に貢献された方でもあるんじゃよっ。
そのゆかりもあってか、筑波大学はスポーツ強豪校としても有名ですし、「体育専門学群」が誕生したのもこの方の影響があったのかもしれませんね。
↑ご覧の通り、筑波大学は、数多くのプロスポーツ選手を排出しています。
そして、この352名のうち、約140名ほどがプロサッカー選手なんです。
この記事に詳細を記載するのは、人数が多すぎるので、一部の方だけ記載しますね。
- 風間八宏(かざま やひろ)
- 長谷川健太(はせがわ けんた)
- 井原正巳(いはら まさみ)
- 中山雅史(なかやま まさし)
- 藤田俊哉(ふじた としや)
- 大岩剛(おおいわ ごう)
- 望月重良(もちづき しげよし)
- 千代反田充(ちよたんだ みつる)
- 藤本淳吾(ふじもと じゅんご)
- etc…
サッカー好きなら分かると思いますが、メンツがエグイですね。(笑)
歴代の日本代表レジェンドの多くが、筑波大学出身者だったんですね。
また、東京五輪日本代表のエース・久保建英選手のお父さんも、筑波大学サッカー部出身なんですよ。
筑波大学蹴球部は大学サッカー屈指の名門校
先程ご紹介した、数々のサッカー界レジェンドを生み出した「筑波大学蹴球部・サッカー部(蹴球部)」ですから、強豪校であることは、あなたも察していると思います。
これまでの主要大会での成績をご紹介致します。
↓↓↓↓
天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会
準優勝:1回(1935年)全日本大学サッカー選手権大会
優勝:9回(1954, 1956, 1968, 1971, 1979, 1980, 2002, 2003, 2016)
準優勝:4回(1995, 1999, 2000, 2008)総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント
優勝:3回(1981, 1988, 1992)
準優勝:6回(1983, 1987, 1989, 1993, 1995, 1999)関東大学サッカーリーグ戦1部
優勝:15回(1925, 1953, 1968, 1969, 1980, 1983, 1987, 1988, 1992, 1993, 1994, 1999, 2000, 2004, 2017)
準優勝:11回(1948, 1955, 1977, 1979, 1955, 2001, 2002, 2003, 2010, 2016,2018)アミノバイタルカップ
準優勝:3回(2012, 2015, 2017)茨城県サッカー選手権大会(兼天皇杯茨城県予選)
Wikipedia より引用
優勝:12回(2000, 2002, 2003, 2005, 2007, 2011, 2012, 2013, 2014, 2016, 2017, 2020)
準優勝:3回(2004, 2010, 2018)
まさに、強豪校にふさわしい、圧倒的な成績だねっ!
その強さの秘訣と言える、1つの要素がこちら。
全部員数は158名。
学群・学類別
SPOSHIRU より引用
1学年約40名前後。部員の半数以上が体育専門学群所属。しかし、その他にも多種多様な学群・学類に所属している部員が多く、それぞれの専門分野で学んでいるものを蹴球部の活動に活かしているのが特徴的である。
150名を超える部員を抱える「筑波大学蹴球部」ですが、「学群・学類」制度を採用している筑波大だからこそ、部員1人1人がそれぞれの強みを活かして、プレーヤー以外の側面でもサッカー部に貢献されているということですね。
「学群・学類によるそれぞれの強み」を、具体的に述べると、、
- 試合の映像分析をする部員
- スポンサー営業をする部員
- スポーツサイエンスや栄養学を活かす部員
- etc…
といったことでしょうか。
筑波大学蹴球部が強豪校である所以が、よく分かったねっ!
個々の強みを活かしたい人間が集まっており、
サッカープレーヤーとして極めるだけの集団じゃない
それが、筑波大学蹴球部の強さの要因かもしれませんね。
三笘薫の筑波大学時代のサッカー成績。試練を乗り越え大きく飛躍!
最後に、三笘選手の筑波大学サッカー部でのストーリー・成績に関して、ご紹介させて頂きます。
入学当初はスタメンで起用されず苦しんだ時期もあった
ここまでまとめてきた情報を元に考えると、三笘選手は「大学入学時から即レギュラー」という印象を持つ方がほとんどかと思いますが、現実はそう甘くはなかったようです。
筑波大学蹴球部の小井土監督は、当時の三笘選手を、このようなニュアンスで語られていました。
↓↓↓↓↓↓
三笘は川崎フロンターレユースで豊富な経験と確かな実力が入学前からあったのは事実です。彼も筑波大学には試合経験を求めて入学してきました。入学1年目からレギュラーとして試合に出れると思っていたのに、実際は使われなかった。
確かな実力は既に持っていた三笘選手が、筑波大学入学当初、試合に出られなかった理由。
それは、、、
【チームが求める守備が出来なかった】ことが原因
言わずもがな、サッカーは「チームスポーツ」で、勝敗を左右する上で、チーム戦術は非常に重要なウェイトを占めます。
当然のことながら、チームが変われば、戦術も変わるのぉ…。
筑波大学蹴球部では、川崎フロンターレユース時代とは違った、守備戦術を求められたことに、当時の三笘選手も苦戦されたのでしょう。
ただ、ここで腐らないのが三笘選手なんです。
彼は腐らずに、なぜ自身が使われないのか考えることが出来た。目の前の困難逃げ出さないで、「小井土を見返してやろう」と努力した。
これぞまさに、記事冒頭でも触れた、三笘選手の特徴の一つ「実行する力」ですね。
目の前の課題に真摯に向き合い、改善策をしっかりと考えた上で、壁をぶち破って成長に繋げる。
言葉にするのは簡単ですが、実際に実行できるからこそ、三笘選手はスペシャルな存在になれたんじゃないでしょうか。
ちなみに、三笘選手は、筑波大学の守備面の戦術に適応する為に、体重を5kg程増量させて、フィジカルを強化されたようです。
意識的に「当たり負けしない肉体作り」を目指したということだねっ!
そして、守備面の課題を見事にクリアした段階での1年時から、筑波大学蹴球部のレギュラーの座を掴まれた事は、言わずもがなですね。
三笘薫の筑波大学時代の成績まとめ。伝説の60mドリブルゴールの映像あり
三笘選手の大学時代に残された、圧巻の成績をまとめてみたよっ!
- 関東大学サッカーリーグ・ベストイレブン選出
- 2017年、2018年、2019年
- デンソーカップサッカー・ベストイレブン選出(2019年)
- ユニバーシアード日本代表選出
- 台北大会(2017年)、ナポリ大会(2019年)
- 天皇杯(2019年)にて、J1・ベガルタ仙台を相手に2ゴール
- SURUGA I DREAM Award受賞
流石といいましょうか、貫禄ある成績です。
大学ベストイレブンに3年連続で選出されている点をみても、安定して活躍できたことの証明ですね。
ユニバーシアード日本代表での、2019年のナポリ大会では、決勝でブラジルを下し優勝に導いた1人として大活躍されました。
こちら、三笘薫選手の大学時代からJリーグ時代までのプレー集まとめ動画になっております。
三笘選手の名前を、更に世に知れ渡るきっかけとなった試合が、
2017年の第97回天皇杯2回戦・「対 J1ベガルタ仙台」戦での、60mドリブルからのゴールですよね。
この時、まだ大学2年生なんだって…。
スケールのでかいドリブルで、プロ相手にも全然やれちゃってるよねっ!
この試合では、三笘選手は2ゴールを叩き出し、3対2で勝利を収めています。
また、筑波大学が、J1チームに勝利したのが、これが創設以来「初」の快挙でもあったんです。
川崎フロンターレも三苫選手の大学での活躍を注視し続けた
川崎フロンターレの関係者も、三笘選手の大学での活躍は、常に気になっていたようです。
「フロンターレに戻って来たときの姿を想像しながら、ずっと彼のプレーを見ています。大学に行って、彼のスケールは間違いなく大きくなった。体つき、スピード感もそうだし、そのスピードの中での質が格段に上がりました。中でも仙台戦の彼の存在は本当に際立っていた。大学で人間的にも大きく成長したし、1年から継続して試合に使ってもらったことが大きかったなと感じますね」
https://number.bunshun.jp/
articles/-/830894?page=3
プロ関係者から見ても、筑波大学での経験は、三笘選手がよりスケールアップしたと実感する程だったようですね。
そして、三笘選手は大学サッカーでの活躍を認められ、2018年8月に「Jリーグ特別指定選手」として登録され、大学3年時に川崎フロンターレ入りが内定しました。
「Jリーグ特別指定選手」とは
全日本大学サッカー連盟、全国高等学校体育連盟サッカー部、またはJクラブ以外の大学運営(学校法人)のチームに所属する学生選手、もしくは日本クラブユースサッカー連盟の加盟チームの所属選手を対象に、JFAが認定した選手に限り所属チーム登録のまま、Jリーグ等の試合に出場可能とする。
日本サッカー協会 HP より引用
要は、筑波大学に所属しながらも、川崎フロンターレのJリーグの試合にも参加できる状態ということですね。
将来的にはフロンターレに帰りたいという想いはあります。筑波大進学の時点で、4年後により成長してフロンターレに戻りたいと思ってここに来ましたから
https://number.bunshun.jp/articles/-/830894?page=4
三笘選手も「川崎フロンターレ愛」は常に抱いていたようです。
現在の三笘選手の活躍をみても、結果論ですが「三笘選手の大学進学の決断」は、本人・クラブの両者にとってベストな選択だったと言えそうです。
三笘薫の筑波大学時代 まとめ
- 【三笘薫が「大学進学」を決めた理由】
- プロでやっていく決定的な「自信」が自分の中で足りてなかった。
- 大学で4年間勉強が出来ることで、サッカーと自分自身を客観視できる。
- 長期的な視野で考えても、大学サッカーの方が、より人生に影響を持つと思った。
- 【三笘薫が「筑波大学」を選択した理由】
- 戦術・スタイルが自身のサッカー観と一致。
- 実力があれば学年関係なく試合に出れる。(試合経験を求めた)
- 練習レベルが高水準で、設備面でも充実していた。
- 【筑波大学の特徴】
- 敷地がデカい。(ディズニーランドとシー各2個分よりデカい)
- 選択自由度の高い「学群・学類」制度を採用
- 数多くのプロスポーツ選手を輩出(350名以上)
- 【三笘薫の筑波時代の成績・エピソード】
- 入学当初はスタメンで起用されず苦しんだ時期もあった
- 結果的にレギュラーに定着し、3年連続大学ベストイレブンに選出された。
- 大学2年時には、J1ベガルタ仙台を下す2ゴールを決めた。
三笘選手は、小学校時代から、歴代の川崎フロンターレユースに所属されてきたんだよっ!