イングランド・プレミアリーグのブライトンにて、早くもチームにフィットし躍進を続ける三笘薫選手。
その唯一無二なドリブルから繰り出されるオフェンス力は、クラブとしても日本代表としても、今や強力な武器となりました。
日々注目と期待を高める三笘薫選手が、これまでどのような人生を歩んでこられたのか気になる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
- 川崎市立鷲沼小学校時代(鷺沼SC、川崎フロンターレU-10,12所属)
- 川崎市立有馬中学校時代(川崎フロンターレU-15所属)
- 川崎市立橘高校時代(川崎フロンターレU-18所属)
- 筑波大学時代(筑波大学蹴球部所属)
上記は三笘選手の学歴と学生時代の所属サッカークラブを箇条書きでまとめたものになります。
本記事では、三笘選手の「学生時代」をメインに焦点を当てつつ、プロになってからの経歴と年俸推移についても超詳しく・分かりやすく記事にまとめてみました。
目次
【学歴】三笘薫が通った川崎市立鷺沼小学校の特徴と魅力。立地と最寄り駅からのアクセスが抜群!
川崎市立鷺沼小学校の基本情報。駅近でアクセス抜群。隣には大きな公園
↑三笘選手が実際に通われた小学校の外観写真になります。
基本情報を箇条書きで簡単にまとめてみました。
- 川崎市立鷺沼小学校
- 所在地:神奈川県川崎市宮前区鷺沼2丁目1
- 設立:1977年2月8日
- その他情報
- 公立の小学校、男女共学
- 「宮崎小学校」と「富士見台小学校」から分かれて誕生した
- 最寄駅から近い(徒歩約5,6分)
- 地元町会との関係が特に密接
三笘選手は、生まれは九州の大分県ですが育ちは神奈川県になりますので、自宅から通いやすい地元の小学校を選ばれた可能性が高そうですね。
最寄り駅である東急・田園都市線「鷺沼駅」から約600mで、徒歩約5分ほどの距離に位置しており、立地も良さそうです。
公立の小学校になる為、偏差値に関する情報は載っていませんでしたが、学校情報まとめサイトの口コミ評判をみると、どの項目も「平均より少し上」の評価である事が分かります。
「アクセス・立地」は4.15と、やっぱり通学しやすい場所に位置してるみたいだねっ!
また、小学校のすぐ隣には、公園としては大きめの「鷲沼公園」もあります。
鷺沼小学校では、小学3年生になると、授業の一環で「鷲沼公園に行き、虫取りをして観察する」といった立地条件を活かしたオリジナル授業も行っているんじゃよっ。
広いグラウンドと大きめの遊具設備も整っていて、外で遊ぶには十分な環境下にあると言えます。
また過去の川崎市によるインタビューで、鷺沼小学校出身の三笘選手にインタビューした際にも、「小学校当時の思い出の場所は?」という問いの答えに、
宮前区での思い出の場所は、近くに“フロンタウンさぎぬま”だったり、その隣に公園があったのでそこでよくサッカーをしていました。
っというように「隣の公園」と回答されていましたので、もしや鷺沼公園のことでは?!と思い調べてみましたが、違ったようです(笑)。
「フロンタウンさぎぬま」は、J1川崎フロンターレが運営するフットサル施設の事で、その隣の公園に該当するのは「カッパーク鷺沼」の事じゃないかのっ。
鷺沼駅前にあった鷺沼プールが、施設の老朽化と入場者数の減少などにより、平成14年度にその役目を終えました。
その跡地を、「教育ゾーン」、「広場・公園ゾーン」、「運動施設ゾーン」、「福祉ゾーン」の4つのゾーンに分け、それぞれに、土橋小学校、鷺沼ふれあい広場、フットサル施設「フロンタウンさぎぬま」、さぎ沼なごみ保育園の4つの施設が完成し、平成18年4月にオープンしました。
「カッパーク鷺沼」とは、平成18年3月に公募により決まった、このゾーン全体の名称です。
川崎市宮前区公式HP より引用
↑ちなみに、こちらがカッパーク鷺沼の公園ゾーンの写真になります。
地元住民の温かいサポートと自然豊かな充実した環境
2016年11月に、三笘選手が通われた小学校の校長先生が「鷲沼小学校の魅力・特徴」について取材に応じられており、その際の記事をご紹介させて頂きます。
「鷺沼」駅前に伸びる「春待坂」を下った先にある「川崎市立鷺沼小学校」は、2016(平成28)年度に40周年を迎えた。主に鷺沼町会の地区を学区に持っており、地元町会との関係が特に密接な学校として知られている。近年は、各分野の専門家を講師に招いた体験型の授業や、専門性の高い職の保護者から話を聞く機会なども積極的に設け、キャリア教育にも重点を置いている。このような独自の取り組みを進めている狙いはどこにあるのか。また、小学校の魅力、地域の魅力とは何か。校長の三ッ木純子先生に詳しくお話を聞いた。
引用元: https://itot.jp/interview/7850
校長先生が語られた「小学校と地域の魅力」に関する取材内容を、箇条書きで整理してみたよっ!
- 学校のシンボルとして「鼓笛隊」があり、6年生から5年生に引き継がれる形で、児童全員が経験するのが特徴的。
- 「地域の協力」が学校の支えになっている。
- 開校40周年には、新しい掲示板を贈って貰った。
- 池に錦鯉もたくさん入れて貰った。
- 昆虫標本も寄付してもらったもの。
- 駅から非常に近く交通面でも便利。
- 学校の隣に鷲沼公園があり、緑が多く自然豊かな環境が傍にある。
- 近隣の小学校と比べても、校庭が非常に広い。
地元の方々にも支えられた非常に恵まれた環境下で、学校生活を送ることが出来る事がよく分かります。
次章ではいよいよ、三笘選手の小学校時代のサッカーエピソードについて、詳しくみていくよっ!
三笘薫は小学校時代に計3つのサッカークラブに所属。当時からスペシャルなドリブルで周囲を圧倒。ポジションはボランチだった
前列真ん中(背番号18)が、小学校時代の三笘選手。
- さぎぬまSC(神奈川県)
- 川崎フロンターレU-10
- 川崎フロンターレU-12
見出しタイトルにもある通り、三笘選手が小学生時代に所属したサッカークラブは計3クラブになるよっ!
小学校2年生から地元のサッカークラブ「さぎぬまSC」に所属。小2の頃からドリブルが抜群に上手かった!
三笘薫選手が、本格的に取り組むようになったのは小学2年生になった頃。
地元のサッカークラブである「さぎぬまSC」に入団します。
三笘選手がサッカーを始めたきっかけは、自身のお兄さんがサッカーをやっていた事が始まりなんだっ!
さぎぬまSCは、三笘選手の母校である鷺沼小学校のグラウンドで普段練習してるんだって!現在は計7チーム(学年毎に男子6チーム・女子1チーム)に約150人もの小学生が在籍されてるそうだよっ!
ちなみに「さぎぬまSC」出身のプロサッカー選手は、三笘選手以外に3名いらっしゃる事は、ご存じでしたか?
- 板倉滉(ボルシアMG)
- 権田修一(清水エスパルス)
- 田中碧(デュッセルドルフ)
サッカー経験者ならお分かりになるかと思いますが、Jリーグのクラブユースでもなく、入団テストもない地元の少年サッカーチームから、4名ものプロ選手を輩出された実績は、かなり凄いことです。
しかも、今回の2022年カタールW杯日本代表メンバーに、この4人全員選出されてるしねっ!(笑)
↑こちらの男性の名前は沢田秀治さん。
さぎぬまSCの代表を約18年つとめられており、先程ご紹介した同クラブ出身の日本代表4名の小学校時代をご存じの方であられます。
26期生の三笘選手はプロ選手としてドリブル突破を武器とするが、当時から柔らかなボールタッチのドリブルで才能の片りんを見せていたという。「ちょっと、モノが違った」と沢田さん。
東京新聞 より引用
小学校時代の恩師からも、小学生の当時から「ドリブルは質が違った」と評される三笘選手。
三笘選手が小学校2年生の際に参加された夏合宿においても、年上の小学生チーム相手に三笘選手1人で4~5点取ったこともあったそうだよっ!
三笘が小2で参加した夏合宿のこと。さぎぬまSCには1~3年生、3~6年生を交ぜて行う伝統の縦割りサッカーがある。小学生は低学年になればなるほど、体格差が大きく影響するのが一般的。沢田さんも「1年生、2年生が点を決めるのはまれ」と言うが、その中で三笘は「4~5点取った」(沢田さん)という。
スポニチ より引用
強弱つけたり、ドリブルで抜いていく技術は、当時から抜群にうまかったです
小学校2年生が高学年に挑んだ場合「少し上手い」レベルの技術であれば、その体格差からくるフィジカル面・足の速さによって、抑えられてしまうのが通常です。
沢田氏のコメントにもある通り、三笘選手が当時からスペシャルで抜群に上手かったからこそ、成し得た結果と言えますね。
田中碧選手とは小学校時代からのチームメイトで超仲良し!
↑フロンターレ時代の三笘選手・田中碧選手の2ショット。
鷺沼FCのチームメイトだった田中碧選手とは、Jリーグ時代にも同じチーム「川崎フロンターレ」に所属されており、お二人がめちゃくちゃ仲が良い事はファンの間で有名だよねっ!
まーた2人で仲良く話してた😂笑#川崎フロンターレ#田中碧#三笘薫 pic.twitter.com/A3D7vL6wEh
— ゆそこ (@yusoko2256) October 31, 2020
ちなみに田中碧選手は、三笘選手の1個年下で、小・中学校も同じ先輩・後輩の関係性なんです。
そんなお2人が同時にインタビューを受けた際に、「さぎぬまSC」時代に関して会話されておりましたのでご紹介させて頂きます。
僕が先にさぎぬまSCっていうサッカークラブに入って、小学校2年生のときアオが1年生で入ってきました。
https://frontale.shop/n/n990bae101bf2
でも、さぎぬまSCでカオルさんと一緒にサッカーをやった記憶がないんですよ。僕は1年生のときから2年生と一緒にサッカーをやっていたんですけど、カオルさんもひとつ上の3年生と一緒にやることが多かったから
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そうだっけ? アオと一緒にやってた記憶あるけどな〜
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いなかったよ。たまに2年生のチームにいたぐらい
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会話の内容・口調から、お二人の仲の良さが伝わってきます。(笑)
田中碧選手は、1歳年上という事もあって「カオル“さん”」と呼んでいるみたいですね。
そして2人とも、1つ上の学年の練習に参加されていた点からも、
やはり当時から才能の片鱗を見せていたことが再確認できます。
小学校3年生から川崎フロンターレユースで本格的にプロを目指す。厳しい環境で成長速度は更に加速した
地元のサッカークラブ「さぎぬまSC」で三笘選手のキャリアがスタートしたわけですが、小学3年生になった頃、1つの転機を迎えます。
川崎フロンターレU-10のセレクションに合格し、プロのユースクラブへの入団が決まったんじゃな。
その当時、三笘選手のご両親がフロンターレユースのセレクション開催を見つけてくれたことがきっかけだったそうです。
もしセレクションに落ちていたら今の自分はなかったかもしれないし、一つの分岐点でしたね。当時から高いレベルでやりたいという思いは強かったです。
https://soccermama.jp/30035
小学3年生ながらも当時の三笘選手本人が「より厳しい環境でサッカーがしたい」という思いを持っていた事は、傍で見守るご両親も察していられた可能性が高そうでですね。
実際にフロンターレユースに入団した当初は、これまでとは練習で求められるレベルも格段に上がり、三笘選手でさえ最初はついていくのがやっとだったそうです。
- 「止めて蹴る」の練習
- ボールの置き所を常に意識して運ぶ練習
- 1対1の個人練習
当時の監督からも、常に「世界」を意識してプレーしろと、普段の練習から口酸っぱく言われました。細かい点まで、意識してプレーするようになれましたね。
監督・コーチ陣は「Jリーグ」そして、海外でも通用する選手を育てようとしますから、指導内容も厳しくなるのはごく自然。
小学生の頃から、そういった厳しい環境下に身を置いたことが、そのレベルに適応できるポテンシャルを持っていた三笘選手にはプラスの要素でしかなかった事は言わずもがなですね。
そして、小学生年代で最も大きな大会と言えば「全日本少年サッカー大会」ですね。(※現JFA 全日本U-12サッカー選手権大会)
三笘選手は、小学校5,6年生の際に、2大会連続(第32、33大会)で出場されています。
どちらの大会でも、名古屋グランパスU-12に敗北を喫しておりますが、
この悔しい経験を後の成長に繋げることが出来たと本人の口から語られています。
予選から複数試合を経験する過程で、少しずつ成長していったのを覚えています。徐々に一体感ができてきて、チームが家族のように一つになって戦ったと思っています。6年生の代では、前回よりも結果を残せたものの、最後は悔しい思いもしました。この大会のために多くの時間を練習で費やしてきましたし、終わった直後は『優勝できなければ3位でも意味がない』と思ったほど。でも、結果的にそれが糧となって、中学年代以降も、もっと頑張ろうと努力できました。全少は自分を大きく成長させてくれた大会だと思います
https://soccermama.jp/30035
また、三笘選手が6年生時にはチームキャプテンを任されています。
ポジションも現在はサイドハーフやウイングだけど、小学生当時はボランチでプレーしていたんだって!三笘選手は、ピッチ内外でチーム全体をまとめる役割を担っていたんだねっ!
↑この方はフロンターレユース時代の監督で恩師の髙﨑康嗣氏。
髙崎監督は、当時の三笘選手をこのように評価されています。
(現在は、専修大学で監督を務めてらっしゃいます。)
今は左サイドのアタッカーをやっているけど、当時は中盤の真ん中を任せていた。ドリブルはもちろん、パスをさせても天下一品。どのポジションでも成功したと思う。
https://hochi.news/articles/20201222-OHT1T50319.htmlz
厳しいと評判の髙﨑監督が、ここまで褒めちぎるとは。
現在の高い足元の技術・広い視野は、小学校時代のボランチの経験もあっての事だったんですね。
小学校時代の三笘薫はどんな性格の少年だったのか?ご本人と監督の証言を紹介
小学校時代の三笘選手は、どんな性格だったのかなあ?
冒頭で紹介した川崎市のインタビュー内で、三笘選手ご本人がその点に関して言及されておりました。↓
小学校時代の自分は結構目立ちたがり屋で前にどんどん出ていくタイプだったと思います。
https://www.city.kawasaki.jp/miyamae/
cmsfiles/contents/0000126/126409/2P-P3.pdf
現在は、落ち着きのあるというかクールでクレバーな印象がありますが、
小学校時代はアグレッシブな性格だったようですね。(笑)
では、髙﨑監督からみた「三笘選手の性格」は、どのように映っていたのでしょうか。
性格は、自分の信念を突き通す頑固さがありました。目標に向かって取り組む責任感があって、負けず嫌い。ジュニアの時から『ドリブルを仕掛けるのはいい。でもボールを取られたら、自分の責任と思って奪い返そう』と言いつづけました。ボールを奪われたら、チームメイトともバチバチやっていましたし、味方に『ドリブルばかりじゃなくて、パスを出せよ!』と言われたら、『なんでだよ!』と言い返すような一面もありましたね。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/
jleague_other/2020/12/23/post_92/index_2.php
当時の三笘選手の性格やサッカーに対する姿勢を、的確に把握されていた髙﨑監督だからこそ、
キャプテンを任せることにされたんでしょうね。
ちなみに髙﨑監督は、川崎フロンターレU-10にて、
現・レアルの久保建英選手もご指導された方なんですよ。
三笘薫の川崎市立有馬中学校時代。川崎フロンターレU-15に所属。名門クラブの敵将もその実力を絶賛!
続いて、三笘選手の中学校時代について、詳しく見ていこう!
川崎市立有馬中学校の基本情報。
三笘選手の通われた中学校の基本情報がこちら↓
- 川崎市立有馬中学校(かわさきしりつ ありまちゅうがっこう)
- 所在地:神奈川県川崎市宮前区有馬 7-7-1
- 設立:1978年4月1日
- その他情報
- 公立の中学校で、男女共学
- 「開かれた学校」を目指す
- 部活動が盛ん。
中学校も、小学校に引き続き地元の学校を選択されたようですね。
先程の鷺沼小学校からも1km弱と、徒歩15分程の距離関係にあるんだよっ!
公立の中学校になる為、偏差値に関する情報は載っていませんでしたが、
口コミサイト:みんなの中学校の評価を見ると、大体の項目に関しては「平均よりやや上」といった評判のようですが、設備と制服においては、評価が落ちるようですね。
部活動も各競技で優秀な成績を収められているみたいだよっ!
部活動は、野球部が文部科学大臣杯で全国大会出場。男子バスケットボール部が冬の新人戦で県3位、駅伝部が県16位、ハンドボール部が冬の新人戦で県優勝したほか、ソフトボール部や剣道部が市内で有力とされている。この他にも数々の大会で優秀な結果をおさめている。
Wikipedia より引用
中学校時代は川崎フロンターレU-15に所属。ドリブラー・三笘は誰もが知る存在に。
三笘選手が中学時代に所属していたクラブチームは川崎フロンターレU-15です。
小学校時代から、監督・コーチ陣を唸らせる才能を見せていた三笘選手なので、
順調に中学ユースにも昇格されたみたいだねっ!
↑当時、川崎フロンターレU-15の監督を務められていた後藤静臣(ごとう しずおみ)氏は、中学時代の三笘選手に関して「右肩上がりに順調に成長していった。」と語られています。
後藤監督には、三笘選手の中学時代において強く印象に残っている試合があるんだって!
その最もインパクトを残した試合というのが、中学3年生時のユースクラブ選手権・準々決勝「VSガンバ大阪ユース」との一戦。
当時のガンバはタレント軍団で、クラブユース選手権で優勝したのですが、試合後に相手の監督さんが『ここまで崩されたのは、フロンターレさんが初めてですよ』と言って、薫を絶賛していたことを覚えています。『止められなかったです』って。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/
jleague_other/2020/12/23/post_92/index_3.php
クラブ選手権優勝チームの相手監督となると、優秀な選手を大量に見てきているわけですから、その方から「三笘選手の個人」の名前が挙がるという事は、相当際立っていたことが良くわかります。
事実、この試合自体には「スコア3対4」という接戦の末惜しくも敗れましたが、三笘選手個人に関しては、無双状態でドリブルがキレッキレだったんだとか。
ジュニアユースの最高学年ともなると、ドリブラー三笘の存在は知れ渡るようになっていた。
中学3年の段階で、突出した実力でライバルチームへの認知度も高まっていったようですね。
瞬時の状況判断に磨きがかかり「止められないドリブル」が完成した
三笘選手のドリブル精度に磨きがかかったのは中学時代じゃが、そのきっかけは小学校時代の指導方法にあったみたいなんじゃっ。
三笘選手の最大の武器・ドリブルの原点は、小学校時代の恩師・髙﨑監督の言葉が大きいようです。その具体的な内容が気になりますね。
何でもできちゃうからこそ、6年生の時にあえて抜くことを意識させた。3人を引きつけてパスを出した場面でも「何でパスしたんだ。3人をはがして、もっと周りを楽にしろ」と。普通に考えたらいいプレーをしているのに怒られるわけだから、薫は不満そうにしていたよね。でもそれぐらいできる能力があったし、それが彼のドリブルの原点になっていると思う。
https://hochi.news/articles/20201222-OHT1T50319.html
対戦相手も、三笘選手を抑えるために複数人で止めにきますが、
- 敵を引き付けて、フリーの味方にパス
- 複数人のチェックでも、抜けそうであればドリブル突破
というように、【瞬時に状況判断して、最良のプレー選択をする】ことにも、中学3年の時点で身に付けていたようです。
「ドリブル以外の選択肢がある」と相手も考えるので、結果として駆け引きの幅が広がり三笘選手の最大の武器・ドリブルがより活きるようになったということだねっ!
ポジションに関しても、小学校時代の中盤のボランチから、徐々にドリブルを活用しやすい「サイド」へと変わっていったようです。
中学1年の時はボランチでしたが、2年、3年は左サイドハーフ。
https://www.jfa.jp/match/japan_u12_
football_championship_2019/news/00023977/
三笘薫の川崎市立橘高校時代。フロンターレU-18 でも際立つ才能!
三笘選手は、高校に上がってからも川崎フロンターレU-18に所属しエースとしてチームをけん引されます。
三笘選手の高校時代に関しては、こちらで詳しくまとめましたので是非ご覧下さい。↓↓↓
- 1 三笘薫の出身高校:川崎市立橘高校の基本情報。フロンターレU-18の練習会場にもアクセスしやすかった!
- 1.1 三苫薫の通った川崎市立橘高校はどんな学校?基本情報を簡潔にまとめてみた
- 1.2 橘高校は最寄り駅から徒歩約5分と好立地。フロンターレU-18の練習会場にもアクセスしやすかった
- 2 三笘薫は川崎市立橘高校のスポーツ科出身?偏差値58で有名大学にも多数輩出。全国制覇経験のある部活動もあり「文武両道」。
- 2.1 川崎市立橘高校の大学合格実績と各学科の。早慶上智やGMARCHへは計50名以上を排出。
- 2.2 三笘薫の高校時代の所属学科はスポーツ科か?在校生のコメントから推察してみた
- 2.3 サッカー部はインターハイベスト4とここ数年で躍進。
- 3 三笘薫は高校時代に川崎フロンターレU-18に所属。当時からドリブルは一級品で天才だった!
- 3.1 三笘薫のドリブルは高校時代から異質だった!ユース監督から天才と評された点とは
- 3.2 東京五輪メンバーには川崎フロンターレユースの出身者が5人
- 3.3 「高卒⇒プロ」ではなく、大学進学の道を選択
- 4 三笘薫の川崎市立橘高校時代 まとめ
三笘薫の筑波大学時代。プロ飛躍のルーツはここにあった!
小学生から高校まで「川崎フロンターレユース」と共に成長してきた三笘選手。
高校卒業時には、フロンターレのトップチーム昇格を告げられます。
三笘選手、念願のプロへの夢が叶うはずだったのですが、、、
三笘選手が下した決断は、近しい関係者も驚かすまさかの「大学進学」だったんだ…。
しかし、その決断には三笘選手なりの深い考えが存在したのです。
三笘選手の大学時代に関しては、こちらで詳しくまとめましたので、是非ご覧下さい。↓↓↓
- 1 三笘薫はなぜプロでなく「筑波大学進学」を選択したのか?
- 1.1 トップチーム昇格を断り、進路として「筑波大学」進学を選択
- 1.2 自身を客観視してロングスパンで考えた最良の選択が「大学進学」
- 2 三笘薫が筑波大学サッカー部・蹴球部を選んだ理由。小井土監督との出会い
- 2.1 筑波大学蹴球部の試合観戦後、自ら志願しチーム練習に即参加
- 2.2 筑波大学の監督も三苫薫を高く評価していた。
- 3 三笘薫の筑波大学の特徴!学群(学部)制度がサッカー部の強さの秘訣だった!
- 3.1 筑波大学の特徴まとめ:とにかく敷地がデカい!
- 3.2 より広い範囲を学べて選択自由度の高い「学群・学類」制度を採用
- 3.3 三笘薫の学部・専攻は「体育専門学群」
- 3.4 筑波大学蹴球部は大学サッカー屈指の名門校
- 4 三笘薫の筑波大学時代のサッカー成績。試練を乗り越え大きく飛躍!
- 4.1 入学当初はスタメンで起用されず苦しんだ時期もあった
- 4.2 三笘薫の筑波大学時代の成績まとめ。伝説の60mドリブルゴールの映像あり
- 4.3 川崎フロンターレも三苫選手の大学での活躍を注視し続けた
- 5 三笘薫の筑波大学時代 まとめ
三笘薫のプロフィール・経歴と年俸推移。家族思いで人間性も非常に優秀。
最後に三笘選手の経歴・年俸推移やプロフィール関連の情報をお届けいたします。
三笘薫の経歴と年俸推移。プレミア挑戦は4年総額14億円!
三笘選手の経歴と年俸をまとめた表がコチラじゃっ。
シーズン | 年俸 | 所属チーム |
---|---|---|
2019-2020 | 480万円 | 川崎フロンターレ |
2020-2021 | 2000万円 | 川崎フロンターレ |
2021-2022 | 1億7500万円 | ユニオン・サン=ジロワーズ |
2022-2023 | 1億7500万円 | ブライトン |
名門・筑波大学蹴球部を経て、川崎フロンターレに入団した三笘選手は、プロ1年目から2桁得点を記録(新人史上5人目)し、年間Jリーグベストイレブンに選出されます。
川崎での2年目の年俸が一気に4倍の2000万円にアップしたのは、その活躍があってこそだねっ!
そしてJリーグでの活躍が認められ、イングランド・プレミアリーグのブライトンに完全移籍を果たします。イギリスでの労働許可証の絡みで、一旦はベルギーのユニオン・サンジロワーズへ期限付き移籍しますが、そこでもハットトリックを達成されるなど、着実に海外の環境に適応されれていった三笘選手。
ブライトンでの年俸金額を見ても、三笘選手の実力を買ってくれての評価額だよねっ!
東京五輪代表MF三笘薫(24)=川崎=が、イングランド・プレミアリーグのブライトンに完全移籍することが9日、分かった。移籍金は日本代表を経験していない選手としては、異例の推定300万ユーロ(約3億9000万円)。契約期間は4年で、4年総額で最大約14億円の大型契約となる見通し。
スポーツ報知 より引用
年俸は4年間で総額7億円が保証され且、出場数とパフォーマンス次第で最大14億円に上る内容となっており、ブライトンの三笘選手への期待度が十分に表れた内容となっています。
基本プロフィール
- 出生地 :大分県
- 出身地 :神奈川県川崎市
- 生年月日:1997年5月20日
- 年齢 :24歳(※2021年7月現在)
- 身長 :178cm
- 体重 :71kg
- 血液型 :O型
- 憧れの選手:ネイマール、メッシ
- 好きな○○
- 食べ物:麺類、焼き肉、フルーツ(桃、ブドウ、梨)、チョコレート
- 色:青、白、黒
- 芸能人:ムロツヨシ、小栗旬、有村架純、川口春奈
- TV番組:プロフェッショナル仕事の流儀、水曜日のダウンタウン
- 漫画:ワンピース
- 音楽:洋楽
“サッカーの魅力”とは、どんな点ですか?
サッカーは、チームスポーツでゴールや勝利の喜びを共有できることが魅力的だと思います。あと、相手の行動を読み、先回りしたり…、頭を使うことがとても重要なスポーツなので、身体能力だけでなく、頭脳戦・心理戦ができるところがすごく面白いです。
https://www.jfa.jp/match/japan_u12_football_
championship_2019/news/00023977/
隙間時間とか、オフの日、何して過ごされてるんですか?
音楽は大好きで、家で良くスピーカーにかけて流します。贔屓にしているアーティストはいないのですが、試合前も良く洋楽を聴いてテンションを上げています!サッカー関連の動画を観ることも多いので、それでモチベーションを上げたりもしていますね。ネイマール選手やメッシ選手などのプレーを自分に置き換えながら観るので、イメージトレーニングにもなります。休日に気晴らしに観る好きなテレビ番組は『水曜日のダウンタウン』とかバラエティー中心かも…。そういうのもたまには大事ですよね(笑)。
https://playersjapan.com/2018
/12/25/kaorumitoma/2/
三笘薫の家族はスポーツ一家で4人家族。何よりも家族を大切にしている。
三笘選手は、本人含めて4人家族です。
- 父(陸上)
- 母(バレー)
- 兄(サッカー)
スポーツ大好き一家のようですね。※()内が好きなスポーツ
僕の家族は兄だけでなく、みんなスポーツが大好きで以前は父親が陸上、母親がバレーをやっていました。兄は現在も趣味でサッカーをやっています。
https://playersjapan.com/2018/12/25
/kaorumitoma/2/
そして三笘選手は、家族のことを非常に大切にされているのが、過去の発言からもわかります。
まずは、三笘選手が通われた鷲沼小学校について、詳しく見ていこうっ!